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私の修行生活を少しずつ明かすベースです。ネタが無くなったり飽きたり再出発したりすると終了します。
どんな暴露話が聞けるのかなっ爆
出発前夜、寝ようと思い横になってしばらくすると悪友が遊びに来た。男ばっかり三人でダラダラ飲んで喋ってた。どうでもいい話を延々と。二人とも翌日は仕事なのに朝まで一緒だった。今生の別れを惜しむかのように。出発当日、京都駅に教え子が数名いた。夏休みなので始発で駅に着いて私を見送る為に集まってくれたらしい。可愛い奴等だ。一人ずつに声をかけ頭を撫でた。泣き出す子もいた。こいつ等のライバルを地球の裏で育ててやると決意を固めた。空港へ向かう車内ではひたすら眠った。
生きて帰ってきたのね
お帰りぃっ
何ヵ月かぶりにあなたと話ができてあなたの明るさ、あなたの優しさ、あなたのおもしろさに再会でき、自分の気持ちを再確認することができましたやっぱりわたしは今でもあなたのことを・・・・・・・・・・アホだと思います
うふ♪おかえり
はり
ソル・ぺる・まりの・ちゃみ・かりぃ・びい・かず・その他大勢?私のような人間を記憶の片隅にでも憶えてくれてておおきに
いろんなオフに行きましたが私のち●こを触ろうとしたのはあなただけですっ爆
でもいきなり妾では相変わらずだったね
爆思わずかりぃと勘違いして「はりが帰ってきたらしいね?
」ってレスしてしまったじゃんか
爆
一度チャで逢った事あるん覚えてないやろなぁ おかえり
゛
長旅は疲れる。約30時間の空の旅。腰が砕けるんじゃなかろうかと思った。空港で乗り継ぐ為に歩くのが一時の運動である。飛行機の中でも眠り続けたけどね。寝てたらタバコも吸いたくならんし好都合。禁煙なんて誰が言い出しっぺやねんボケ。
憶えてると思うよ慧 自信無いけど
触ってほしい?
おぉかぁえぇりぃ〜
さ、触りたかったのねっ爆
触っときゃよかった・・・まりのの生乳に
爆
ちゃみのDカップには触りたくないのかしらぁんうふ
お帰りやさい。はりたまの第一歩から始まったおらのキン肉マン倶楽部も今ではすっかり株式会社にまで成長したんれすよ。(>_<)テヘッ。
やっぱねらってたのか生乳
みょーにそわそわしてたもんなぁ
爆
最後 帰り妙な抱きつきかた だったもんねぇ〜 あたし あんたじゃなかったら多分はったおしてたわ
Dカップに成長したんか?
やっぱりあんたは並みのエロじじいとはちゃうな
誰の肛門狙ってたん?
空港には私が世話になるO氏の長男のA君が迎えに来ていた。A君が運転する車で一路O氏宅へと向かった。A君は26歳でO氏の農場で共に働いている。O氏宅に到着すると夫人、次男のT君、長女のSちゃん、従業員一同が揃って私を出迎えてくれた。荷物を置くとすぐに歓迎パーティが始まった。私とO氏は時差ボケで苦しみながら酒を飲んだ。
多分触るとプシュッと音がして2サイズほど小さくなるから遠慮しときます爆
海外でシェイプされたあ・な・たよ
爆はり
予定よりも多少発育が遅れております。ご迷惑おかけしますがもうしばらくお待ちください。
食事が合わなくて下痢を多発してたので使用不可ですぺる
成長過程を報告しなさい。簡潔にまとめて今月中に報告書を提出する事。怠った場合はヒョウ柄を没収。
パーティは終わらない。ワインとビールをたらふく飲んだ私はかなり酔っ払った。酔うと陽気になるのはいつもの事だ。饒舌になり一人で喋りまくっていたがボケても誰もツッコんでくれない。日本語が通じるのはO氏一家だけだしボケに対してツッコむという文化を理解していないようだ。周りでは唄い始める人、ギターで演奏する人、陽気な人が多い。ラテンの血だろう。とどめにテキーラを三杯飲んで私はブっ飛んだ。私をベッドに運んだ後も宴会は続いたらしい。
私の為にO氏はアパートの一室を借りてくれていた。他人と同居では何かと気を使うだろうからとの心遣いであった。O氏宅から徒歩10分程度である。家具や電化製品も揃っている。家賃も払ってもらえる。適度な広さで満足している。難点は靴を脱ぐ場所がない。靴を履いたままベッドの横まで行きそこで靴を脱ぐなんて不慣れなので違和感がある。仕方なくスリッパを室内では履いているがどうしても部屋がすぐに汚れてしまう。掃除が大変だ。
あれから数ヵ月…ナマステ運動や風呂でのモミモミはいつの間にか忘れさられ成長は0.3mmくらいで止まっているようですちなみに今日は豹柄着用です
うひ
効果はあったみたいやん忘れずに続けてたらもうちょい成長してたかもな
今日は豹柄履いて何するん?爆
まりのは梅ぱんつ
僕はなぜか派手な色の下着が多い
梅の方がいい匂いがしそうやな
安いパンツ多いしかしこの頃時おり高いパンツを買ってる
誰が見る訳でもないのん
爆爆
三枚千円
以下同文あ! おいらは980円か
爆
題が化けたちなみに「はりに・・・」でした
現地の人にとって日本人の名前は呼び難いらしい。そこで私に呼び易い名前を付けようという話になった。ラテンっぽい名前で咄嗟に口走ったのがアルベルトなんだが却下された。O氏が現れブルース・リーに雰囲気が似てると言ってリーと名付けられた。中国系になってしまった。映画「少林寺」主演のリー・リン・チェンに似てると小学生の時に言われた事もあるしまぁ良かろう。以上のような理由から現在はリーと名乗っている。
私に与えられた仕事はO氏の農場にて主に家畜の世話である。毎日牛と羊を相手に奮闘している。休みは週に二回ある。交代で休むのだがキリシタンは日曜日には働きやがらない。私は月曜と金曜に休んでいる。到着してから三日は何日で何曜日か分からなかった。それにしても牛の食欲は凄まじい。この牛が大きくなれば市場へ売りに行くのだが私の頭の中ではドナドナが鳴り止まない。
基本的に三食O氏宅で頂いているので向こうの料理が多い。牛肉に塩だけで味付けしたシンプルな料理等。時々だが御飯を炊いてくれる。これにはO氏も喜んでいるようだ。しかし梅干しも漬け物も無い。味噌汁も無い。米そのもの味が悪い。贅沢を言えばキリが無い。昼食時にはワインが登場する。昼間っから飲んで仕事できるのかと思いながらもつい飲んでしまう。慣れない異国の料理のおかげでよく下痢をした。帰国後家族で鍋を囲んだ時日本で育って良かったと感じた。
エロばなはまだ登場しないの?タンゴ娘とムフフ話
は?爆
についてはまだ内緒
ビールはあるのだが日本のビールに慣れているので美味いとは感じなかった。主にワインを飲んでいた。値段は知らないがチリ産のワインだから安いだろう。毎日飲むのだから高いモノは買ってられないはずだ。日本酒や焼酎は当然のように無い。熱燗や湯割が飲みたかった。
私の本来の目的である現地での空手道場開設は困難なものとなった。場所を借りて運営する予定だったのだが適当な会館みたいな場所が無い。そもそも何故海外で道場を開く気になったかと言うと、日本の現状に呆れているからである。私自信立派な人間ではないがそれでも日本の未来を考えると嫌になってくる。増加し凶悪化する少年犯罪・いい加減な政治・低俗なマスコミ・・・数え上げたらキリがない。誰もが金の亡者となり、子供の夢は金持ちになる事。美学なんて言葉は無くなったみたいだ。日本には古くから『道』がある。―続く―
私は宗教者ではないので教えを説く事は出来ない。しかし空手道という武道の心得が少々ある。武道に限らず芸術でも書道・華道・茶道いずれも『道』である。相手を尊重し礼を尽くしもてなす心が重要だと思っている。それを異国の地で伝えたく思い海を渡った。腐った日本より純粋に日本文化を受け入れてくれると思った。実際私が公園で一人で道衣を着て練習していると立ち止まって見ている人が多い。珍しさも手伝っていたようだ。中には私の真似をする子供もいる。毎回二時間程度基本技や演武を休憩しながら行っていた。空き缶に小銭を投げ込む人もいた。
ここにくればまともなアホが見れんのかぁちゃみは武道はできないけど書道と華道と茶道なら習ったことあるよ
すべてに共通するのは精神統一かな?毎日忙しくあわただしい今の日本こそ『道』が必要なのかもしれないね
ここでは自分の考えを好き勝手述べてるから反論者も共感者もいるとは思たけど第一号がちゃみとはねぇ
長文読むの御苦労さん
来年で30になるからたまにはまともな事も考えなあきまへんねん
その投げ込まれた小銭も大切な道場開設の資金だと思い大事に持ち帰ったが日本円にすると屁のような額で何の足しにもならなかった。庶民の貧困の程度は私の想像をはるかに越えていたのだから仕方無いだろう。私自身も物乞いのように思われていたようだ。物乞いが毎回洗濯した道衣を着ているはずなどないのに。貧しい家庭が多いため月謝を徴収して子供達に技と心を教えるのは無理だと痛感した。月謝でも集めなければ一から道場を作るなんて何年かかるか分からない。私の収入はO夫人に管理してもらっているが僅かなものである。―まだ続く―
青空教室では天候に左右されるので指導はなかなか進まない。アスファルトやコンクリートの上では正座も長くは続けられない。姿勢を正し目を閉じ精神統一させたいのだが無理がある。道衣も無いので皆が気ままな服装なので一体感が無い。何よりも子供達に指導したいのに大人の方が集まってくる。仕事が無く暇な大人が多いのだ。かなり先が思いやられる。理想と現実は掛け離れている。言葉が通じないので全身を使って技の指導を行ったが微妙な動きを教えられない。わずかな時間しか無いので基本的な事しか教えられない。―まだまだ続く―
長文に疲れたので簡潔にの話。普段はセブンスターを愛煙している私だが贅沢は言えないのでまずい現地のタバコを吸っていました。終わり。
終わりかいなもちっと頑張りーな
爆
終わりじゃなくてタバコについてのお話は終わりなんですけどぺる
眠いから次の機会に書きます。
苦悩に満ちた日々を送りながらも私は現地での生活にも少し慣れて与えられた仕事もこなせるようになってきた。そんな或る日いつものように公園で演武をしていると何人かの子供が集まって私の真似を始めた。ここまでは普段と変わらない。しばらくするとO氏の長女のSちゃんが友人らしき女の子を二人連れて現れた。稽古の途中なので軽く手を上げて挨拶をしたが帰らずに三人で話をしている。休憩を取るついでに私は三人に歩み寄った。当然ながら日本語が通じるのはSちゃんだけなので通訳をして貰わなければならない。―続きはどないしよ?飽きてきた―
アホエロ日記のほうがラクなんじゃない?長文ないし爆
二人の友人は日本に興味があるらしい。公園で話をしていたが京都についての話になり盛り上がった。二人は京都の地名は知っていた。私は自分が生まれ育った土地について異国の地で語れるとは思ってもいなかった。嬉しくなり話の続きをする為に私のアパートへ四人で行った。三人をもてなす為に私はお好み焼を作ろうと考えてSちゃんに材料を買いに行ってもらった。調理器具は普段は使わないが揃っている。鉄板はさすがに無いのでフライパンで焼くつもりだった。―たぶん続く―
現地で私が作ったお好み焼はこちらで作る物とは少々違った。材料で手に入らない物があるので他の物を代用したのだ。山芋が無かったのでジャガイモを代用した。水にさらして灰汁を抜き擦り下ろした。小麦粉、キャベツはある。肉は豚を使いたかったが牛が安いので牛を使った。紅ショウガ、天カス、青海苔、カツオは代用できる物が無いので諦めた。ソースもお好み焼用のなんて無いからマヨネーズでごまかした。どんな味かは一度試してみてください。私は日本で食べるお好み焼の方が好きです。私以外の三人は初めて味わう料理なので旨そうに食うてました。
書いたか忘れたから誰か教えて。
読んだか忘れた爆
二人の女学生はそれからも頻繁に公園に立ち寄り私との会話を楽しんでいたようだ。二人の名前を憶える自信の無い私はサニーとカローラと呼ぶ事にした。地球の裏で故郷の話に花が咲き郷愁に駆られた私は友人達に手紙を書こうと思い立ちペンを執った。いろんな人に宛てて合計五通の手紙を持ち郵便局らしき建物へと入って行った・・・
しようと思ったけどやっぱりもうちょい休む
ネタが尽きたのかな?暇そうぢゃん爆
郵便局らしき建物へ入り窓口へと私は向かった。そこでのやりとり
李「これ日本に送りたいねんけどこれでええんですかねえ?」
局員(以下〒)「★÷♯£○※@」李「そやし、日本やねん、日本。えあめえる。」
〒「∵§▼%℃>〓◎∞仝」
李「なんや、わからんのかいな?」〒「Å∂ΥΩ々≠∩⊥ ̄〆」
李「おぉそうか!わかった。おおきに。」
〒「・・・」
外に出た私は何もわかっていなかった。スペイン語がまったく理解できてないから仕方無かろう。その手紙はポストでなく、ゴミ箱へと投函されました。
二人と頻繁に話すようになったがスペイン語はいつになっても覚えられない。覚える気が無いのだから当然である。日本語と簡単な英単語だけで会話していたがいつからかカローラは姿を見せなくなった。気にしながらもサニーに聞くにも言葉が通じないから聞けないのでそのままにしておいた。そんなこんなでサニーと二人で過ごす時間が自然と長くなっていった。
こんな掲示板があったのね!
するわけないやん飽きたから止めたのに
ぺ
今月の掘り起こしはこれだけ
掘り起こしっつ〜か最近カキコさぼってないか?
仕事がさぼれないからね
他人のベースにチャチャ入れるだけなら楽でいいし
そう言えばびぃも自分のベースあまりカキコしない
なんだよはりの牝話しは?
サニーとのその後をワクワクして待ってたんだっけ
聞きたい読みたい
サニーは喰ったんだよね?>リ
もう過去の女だから忘れた
逃げるなっ サニーの話くらいは書けよー
ワクワク
出掛けたかな いや、そんな筈あれへんハイパーうろついてりもんなぁ
続編の再開おさも待ってよおっと(笑
日々是修行也
続行飽きたんやもん他人のベースにからむ方が楽やし〜
絡むより 堀り堀り♪
掘ったんかと思たら
このベースはどんな話を書いてたか誰か教えて
此処まで来たって続きはよう書けよ
リー
理名ちゃん見たさについ尾行
何でそうなる?爆
何を書いてたか忘れてるもん
理名ちゃんはいつ現れるんだ?
♀の暴露話しなよー
カローラかサニーか忘れたが・・・
別に順序はどうでもええ
♀話じゃ
ここで語るべき話ちゃうから後日別ベースにて・・・
あんまり期待せんよーに。
自分のベース掘り起こしてきたけど少ないわあ〜
じぇんじぇん多いやん
はりのハンドル捨てた最初のベースは
帰ってきたばっかりで疲れてるから後日に改めて。
見事に盆休みのUターンラッシュと日程が重なってしまった。しかも関空ではなく名古屋空港を利用するため移動距離が長い。二時間立ちっ放し・・・こんなの初めて
出発してから四時間が経過していた。その間、タバコを吸えなかったのが何よりも苦痛だったので喫煙コーナーに真っ先に向かった。搭乗すれば再び禁煙移動になるので私は深くゆっくりと煙を吸い込み味わった。思い残すことは無く喫煙コーナーを去り、出国の手続きを済ませ待合ロビーへ。免税店に立ち寄り頼まれていた化粧品を購入。そこで目にした光景だが香水を売っていた女性が香りを付けた紙を振り回し時々嗅いでいた。あんた毎日そんなん一日中嗅いどったら嗅覚がおかしゅうなるやろ
機内食がまずい。以上
空港には現地で世話をしてくれる人が迎えに来てくれていた。バスに乗り込みホテルまで走ったが道がガタガタだ。何度も座席から体が浮き上がった。無理な追い越し、信号無視なんて当然。窓の外に町の明かりがほとんど見えない。とんでもない田舎のようだ。
無事にホテルに到着したが日本時間の11時を過ぎていた。我々がしつこく空腹を訴えたのでルームサービスで焼き飯を取った。一皿で二人分はあろうかと思われるが、きれいに平らげた。まだまだ私も若いのだろうか。
この焼き飯が今回の旅行で一番口に合う料理だとこの時には知る由も無かった。
けったいな若者がいた。空港で武術のような動きを繰り返している。我々は専門家集団なので彼を刺激しないように見守っていた。一人で武術ツアーに参加した若者だった。空港で見た彼の荷物には、スーツケースの他に袋に収められた竹刀か木刀があった。それを手にした彼の表情は喜びに満ち溢れ、最高の笑顔だった。我々は笑いを堪える限界を越えてしまい、空港で大笑いしてしまった。
もう一つのボストンバッグからはスケボーが見えていた。なんでそんなもんが必要なん?
中国の歴史の深さを思い知らされました。
余りに懐かしくてカキコ(笑)
ありましたねぇ、こないな板