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人は皆平等だと言われる。
身分、権利、能力、役割。この中に平等なものはない。平等は即ち混沌を招く。カーストのそれぞれは『平等』という言葉を掲げることに意味がある。
思い込ませること、思い込むことがそれぞれにおいて都合が良く、利害が一致する。
平等はつまり混沌を意味する。
資本主義、全体主義ともに平等とは言えない。私有財産は『金権』をうみ、共有財産は『身分』をうむ。
疑問を抱く人間がいる。
混沌を好む人間がいる。
真実を知る人間がいる。
平等などない。平等など存在しない。皆、不条理を心の闇に押し込み、破壊衝動を押し込み死んでゆくのだ。みんな死んでゆくのだ。すべてのものに平等なものは死だ。
命を奪う人間がいる。
更正施設とは分をわきまえさせる施設。
タブーとされている。生きる権利を奪うから。
徒競走に自由に生きる権利はない。死は平等に訪れる。
自由に生きる権利はなく、生きる権利はある。ヒエラルキーに生かされている。
『ダイフゴウ』に同じ。ルールが不変であることに平等を感じ、ロールを演じる。そこに平等はない。
『ダイフゴウ』に同じ。ゲームにはのジョーカーがある。馬鹿な連中はジョーカーの使い方をしらない。
ヒエラルキーにあぐらをかいてる人間はジョーカーをおそれている。
ジョーカーの使いこなせなかった人間には2つの選択が残る。
ヒエラルキーに従うか、2枚目のジョーカーを使うか。
2枚目のジョーカーは血のついた大鎌を持ち、くびが無い。
孤独と不安にとりつかれた人間は絶対的な権力を持つものをまつりあげたがる。フランスでは共和制に移行してから2回も帝制を復活させている。
人間とは孤独、不安に取り込まれやすい生きもの。
孤独と不安に取りつかれた国には必ず独裁者が現れる。安易に軍需産業をとりこみ、軍を掌握し結果、戦争を続けなければならなくなる。
人は自らキングを欲する。しかしキングも実のところ同じ人間である。なぜなら神など存在しない。
キングに失望すると新しいキングをまつりあげる。
なぜ命を奪ってはならないのか。
自分に置き換えてみたら嫌だから。
生きる権利は奪われない。
かわいそうだから。
罰せられるから。
大半がこれらの答えで返ってくるが、あまりにもチープだ。
正論ではあるがこれらの事由で納得すると、自殺志願者、自暴自棄になったもの、死の宣告を受けたもの、事故により自由を奪われたものはタガを外してしまいかねないということになる。
『殺さないものに命の尊さは分からない』
子供は残酷だ。
人は幼い頃より、命の尊さを学んでいく。法律だとか、モラルだとか、それよりも前にあるものを学んでいく。
蛙を爆破してはじめて命の尊さがわかる。幼児を爆破する前段階だ。
『人間は利己的遺伝子に操られたビークルにすぎない』
死を目的としたリストカットとそうでないリストカットがある。狭義での「リストカット」には前者は当てはまらない。
死を目的としていないリストカット常習者は何を目的に自らを傷つけるのか。
自ら命を断つという行為は与えられたもの、得たものすべてを破棄するという行為。客観はどうあれ主観では「すべての手を尽くした結果」の結論、即ち完全燃焼。
リストカットとは、不完全なものを欲するが故の行為といえるのではないだろうか。
いわゆる人格障害をもつ者。物理的にも心理的にも閉鎖的な空間において、時に主観の中に客観を持ち込んでしまうことがある。
詰まる所、精神の中とは全て偶像である。
「痛みによって生を感じることができる。」
「痛みが自らの存在を与えてくれる。」
鼓膜よりもさらに奥の方で聞こえる肉を切り裂く音が、突然聞こえるようになる鼓動が、ほとばしる鮮血が、バーチャルでないことを確認させてくれる。
まず自らが自らの存在を認めることができる。
人間とは闇だ。
見えることは盲目に等しく、見えているものは存在しないに等しい。
光に包まれて生まれた赤ん坊は手当たり次第にものをつかみ、口のなかに放り込んでいく。
やがて訪れるのは想像を絶する闇だ。
はるか上空に瞬く星に想いを馳せてみたところで、それは幸福ではなく慰みであることを誰もが理解している。
かつては誰もが光に包まれていたのだから。自ら光りを闇のなかへ放り込んだのだから。
見えることは盲目に等しく、見えているものは存在しないに等しい。
闇の中に浮かんでいるようなものだ。
闇に蠢き、偽善を貫く自分から正直な自分が責められるという矛盾のなかで生きている。