莫切自根金生木

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0120.感動について.1(杓子(★))2013/12/09(月)18:41

感動っていうのは危険なものなんだ。
それは、色んな権威を平らにしてしまう。
色んな価値を逆転させてしまう。

感動した人間は、今あるものを変えようとする。
感動した人間は、人々の当たり前に疑問を投げかける。
だから、今現在常識に護られている側の人間は感動に警戒する。
皆の既に知っている、常識と認められたもの以外の感動を嫌悪する。
それを『権力の慣性』と表現してもよいし、『保守』と呼んでもいい。
それとも、端的に『老い』と表現してもいい。


 Aは最近、仲良くしていたあるネット上の友人に、苛立ちめいたものを感じるようになった。
きっかけは、その男があるアーティストのライブを観に行ったと言ったことだった。
「へー、僕はもうそういうノリにはついていけないなあ」
と、返した彼の言葉に、友人は噛み付いた。
「僕も『そういうノリ』には興味はないよ、どういう意味か解らないけど。
それに、ただ若さからくる勢いで暴れるような音楽は、若い頃から嫌いだったさ」
自分より年上のはずの友人の言葉に、Aも少しカチンときた。
「君は気が若いなあ。僕はもう、自分の青臭さに陶酔できるエネルギーが無いよ」
と、思いがけず強い言葉を返してしまった。
友人は、それ以上何も言わずに話題を転じた。

 あのとき、自分は彼が『若ぶっている』と解釈して言葉を返したわけだが、実際にはもっと違うことを感じて苛立ったような気がしていた。
それは、彼が素直に新しいものに『感動』しているという点ではないか。


0119.感動について.2(杓子(★))2013/12/09(月)18:40

 何時からかAは、若い頃の感動を思い出すことはあっても、新しい感動を受け入れるということがなくなっていた。
そしてそれは、大人の一種の『責任』だ、とも感じていた。
大人は、自分の選んだ正義を軽々に翻してはならない。
誰かが悲しみや苦しみの声を上げても、それで自分の生き方の軸をぶらしてはならない。
そう、思っていた。
また、ちょっとやそっとで揺らがぬ自分を作り上げるため、若い頃はそれなりに見聞も広め、勉強もしたつもりだった。

どんな新しい芸術に触れても、『ああ、あれね、僕も若い頃はそれ系にはまったよ』などと返せるのは、嫌味な性格と思われるかもしれないが、よく学んだまっとうな大人の証拠であると思っていた。

 しかし、頭の良さでは一目置いていた友人が、新しいものに感動して恥じない様子を目にすると、なんとも言えず不安な気持ちになったのだ。

 僕は、何でも知っているとは言わないが、何が来ても揺らがぬ基準を見出している。
どんな新しい声を聞いても、もはや動揺したり後悔したりしない。
自信満々にこの世の中を渡って行くためには、そういった一種の傲慢は必要不可欠なものなんだ。
大人になっても新しいものに感動したとか言ってる奴は、人生を変えるほどの感動を知らない上っ面ばかりの野郎だ。
そう思っていたのに。

自分の不惑はただ年寄りの頑固さに過ぎなかったのではないか。

あざ笑うかのような口調で友人に対してしまったのは、そんな不安を押し隠すためだったのではなかったか。暗い窓の外をぼんやり見ながら、Aはそんなことを考えた。


0118.らしく(杓子(★))2013/11/25(月)23:06

男らしくとか、女らしくとか。

歳相応ってのもそうだな。

日本人の美徳と最近持ち上げられる“恥”の文化とは、一面自分の判断に自信を持てない、理性を欠いた文化でもある。

自分の行動、言動が正しいかどうかは、自分で考え抜いて決めるべきことなのに、他人からの視線にそれを委ねてしまう。

法を守る、正義を行うといったって、周りが守ってるから守ろうという奴は、周りがイジメをしてればそれに加わる奴だ。

“相応"にしてないと“恥ずかしい”よね。

自分で何が正しいかなんて判断できないから、学校で教わること以外勉強する暇なんてないから、目に見えない圧力のままに自分の形を決める。

顔のない、化け物たち。


0117.京の秋(杓子(★))2013/08/31(土)12:00

京都の夏は暑かった。

動かない熱い空気に蓋われた街は、まるごとラップされチンされて茹っているみたいだった。

地元よりも暑い、と太鼓判を押す九州、四国出身者もいた。

京は冬も厳しかった。

後に私は滋賀にも住んだが、雪の多い滋賀の方が、それでも過ごし易かった記憶がある。

やはり地元超えを断言する北海道出身者も居た。

京都は盆地なので、冬の寒さ、夏の暑さは格別なのだ。

しかし、だからこそ、京の人は昔から春の訪れ秋の到来を喜んだ。

町中の古刹の庭に見える梅や、疎水の水面を埋める桜、嵐山や清水の紅葉など、京に春秋の楽しみの多いのは、その気候のせいもあるのだ。

辛い時間というのは、訪れる解放のための喜びを貯金する期間なんだよ

とか、うまい事言おうとする人も居た。
そんな理屈はパチンコ中毒者ならみんな知ってることなのだが。


0116.遅れる(杓子(★))2013/08/23(金)19:30

僕が電車に遅れたのか、電車が遅れていたのか、不思議と何にもミスした覚えがないのに時間に遅れた。
まあ、ままあることだ。

うそ。そんなことがままあったらたまらない。
相対性理論が証明したなんやかやにかかわらず、地上の時の刻みは等し並で、理由もなく遅れるなんてことはない。

いや、もしかしたら時の刻みは相対的だからこそ、南の国では許されるちょっとした遅れでも、この極東の世界一パンクチュアルな国では許されぬのか。


0115.jhy,mjh(hmkgj(★))2013/07/12(金)12:57

dfcsdrhbm


0114.えでぃ太(杓子(★))2013/06/29(土)14:44

「やっぱ秀丸なんだ。俺はサクラ派だな」
「サクラって、たまに使ってる人いるけど、いいの?」
「いいって言うか・・・エディタに求めるものってそんなに多くないじゃない?」
「そうか?」
「ワードみたいにさ、行頭に数字入れたら勝手に段落にされたり、キャメルの関数名の大文字小文字勝手に直されたり、要らん機能だと思わない?」
「まあそれは設定だと思うけど、確かに時々イラッとするね」
「要はさ、グレップがあって、使いやすい検索とある程度の言語解析ができて、文字エンコードと改行コードの変更ができたら、あとは矩形選択くらいあればそれで充分なのよ」
「まあ、そんなとこかな。でもそれは全部秀丸で出来るぜ。サクラを特に推す理由ってないのかよ」
「うーん・・・」


「サクラってさ」
「びっくりした。その話30分前に終わったと思ってたよ。ていうか立ち消えに。」
「サクラって、趣味の匂いがするんだよ」
「なに、趣味?」
「そう。アイコンがちょっとふざけてたり、デフォルトの紙色がうっすらピンクだったり」
「あー、そういうのがいいんだ」
「秀丸って、なんかプロっぽいじゃん。無味乾燥で、Viとかラインエディタっぽいていうか」
「いや、そりゃ背景黒や青で使う人も多いけど、ラインエディタってのはほぼ言いがかり・・・」
「結局俺はどっかソフト作りを趣味にしときたい部分があるんだわ、きっと。プログラマより、ハッカーでいたいんだわ」
「そうなんだ?でもむしろハッカーっつうと秀丸やVi使ってそうな気が」
「だから、C言語モードで#elseが反映されなくても、diffがいつまでたっても使えない代物でも、やっぱサクラを使ってたいんだよね」
「・・・ダメじゃん、それ・・・」


0113.道具(杓子(★))2013/06/17(月)22:42

道具を使うと人間は楽になる。

弓を手にした人間は、楽に鹿を狩れるようになった。
飛びかかって、石で何度も頭を打ち、我も彼も血みどろになって殺すより、数段楽に罪のない獣の肉にありつけるようになった。

銃を発明した人間は、楽に戦に臨めるようになった。
刀を持って向き合って、命乞いを遮り振り下ろした刃の感触を、何度も何度もその後の夢に見る事なく、自分と同じ人間を屠れるようになった。

道具は人を軽くする。
照準の向こうの人間は、もはや標的に過ぎない。
肉体性から切り離されると、どんな感情も希薄になる。

ネットは、人を楽にした。
醜い言葉を投げつける相手は、液晶の向こうのただのハンドルネームに過ぎない。
相手につかみかかられる事もなく、目の前で泣き崩れられる事もなく、腐った内蔵から溢れる汚物を気に入らぬ誰彼に浴びせかける事が出来る。

道具は人を楽にした。
想像力のない人を。
自分の身体も痛まねば、人の痛みを感じられぬ人を。


0112.お(杓子(★))2013/06/16(日)01:41

未来から俺がこの時代に来たとして、「俺史上最高齢は俺の方だ」と言ったとしよう。
未来の俺は、勿論俺と同じ名前、同じDNA、同じ経験を持っている。
でも、俺にとって目の前に来たその人は「俺」じゃなくて「あなた」で、やっぱり俺史上最高齢は俺なんだ。
例え何十年後かの俺がタイムマシンで過去に帰り、今目の前にいる「あなた」と同じ体験をしたとしても、やはり俺はあなたじゃない。
俺が俺である理由は、俺に紐付く情報を持っているからではなく、俺が俺の頭蓋の中から世界を見ているというその一点にある。
俺はこの中からあなたを見ている。
あなたはその頭蓋の中からこっちを見ている。
その時点で俺とあなたは区別される。

俺は現時点で記憶の中の全ての俺より歳上で、間違いなく俺史上最高齢だ。
それは、タイムマシンでやって来た俺であるあなたが幾つであるかに関わらず、だ。


0111.うむ。(杓夫(★))2013/06/14(金)23:52


私の事?なのw


0110.最長老(杓子(★))2013/06/14(金)00:17

今気付いた。
俺って今、俺史上最高齢に達してるわwwwww


0109.僕たちは窓関数である(杓子(SN3R))2013/03/15(金)19:31

若い頃、と言っても、自らの天稟の無さに気付く程には年を経た時分から、彼は人生を退屈な長い時間と捉えるようになっていた。

と言って、そのことに何ら不満はなかった。
自分が生み出すものに望みが持てなくとも、世界には素晴らしい事が沢山あるのは分かっていたし、震えるような歓びを伴わぬとしても、日々の楽しみを賄えるほどの仕事はあると知っていたからだ。

面白そうな本を買い、そのページに挟まった新刊予告の紙片に次の楽しみを見つけ、そうして長い人生の午後を好きに過ごすつもりだったのだ。

彼にとっての人生が忙しいものに変わったのは、そんな時間潰しを15年も続けた後。
理由は単純、恋に落ちたのだ。

彼と同じように、あぶくの中から海を見るような、世の中と自分との間に薄い膜を感じる女性だった。

彼女が彼と違うのは、幸せになりたいと切望している事だった。
彼女は、彼に愛されていることが幸せの条件だと言った。

それで、彼の人生は短くなった。

もて余していた退屈な時間は、彼女の永遠の幸せを容れるに足りない一瞬に変わった。


0108.快楽原理(杓子(SN3R))2013/02/15(金)18:46

私は快楽主義者だ。

私の言う快楽主義は、自分や他人にストレスを与えてまで自分の肉体的快感を求めるようなものではない。
そういったバッカス信仰的行き方は私にはむしろ苦行僧の暮らしに思える。

私の快楽主義は、端的に言うと自分の受けるストレスを最小化することだ。

たとえば、レストランで食事中、皿の中に虫を見つけたとする。
お金がなくて空腹であれば、やむを得ず苦情を言って料理を替えてもらうが、そうでなければその皿はそのままに代わりの料理を注文する。
楽しく食事をしているときに揉めたくないのだ。
何より大事なのは経済効率でも社会正義でもなく、自分の時間を快適に過ごすことなのだ。

楽しむために行った先では最大限に楽しむことを重視する。

仕事をするために使う時間は、効率を何より考慮する。

自分の時間は自分の目的以外に割きたくない、それが私の快楽主義だ。

人は多く自分のコンプレックスに引っかかり時間を浪費する。
する要のない揉め事に好んで頭を突っ込む。

自分にとって何が大切か、考えること。
感情が昂ったとき、ストレスに曝されたときにこそそうすること。

快楽主義は逃走中の猫のように、全力疾走のさなかにピタリ、と立ち止まることから始まる。


0107.コンピュータの作り方(杓子(SN3R))2013/01/22(火)19:05

ほとんど何もないところから、どうやってコンピュータを作ればいいかをお教えしましょう。

まず、用意する材料は炭素に水素、それに酸素に窒素てす。

鉄や金やゲルマニウムが必要だろうって?

そんなものはほんの0.000数パーセントあればいいのです。

大切なのは、鎖状化合物を生みやすい炭素や珪素のような元素と、大きなエネルギーを得やすい、恒星から程近い環境。

そんな条件を満たす惑星を一つ用意すれば、あとは数億年待つだけです。

遅くとも45億年もすれば、何らかの演算装置が地に満ちるでしょう。

不思議なことですが、この世で最も精密で数学的な構造物は、腐食性ガスに満たされた大気の下、内部に水を満たした変形性有機物の手によって生み出されるのです。


0106.枯れ(杓子(SN3R))2012/12/20(木)22:16

夢の見方を忘れた。

何かが変わったんだ。
きっと内分泌系の働きも変わった。
でもそれが原因か結果かは分からない。

もと自分の居た位置に戻れないとき、「失った」と思ってしまうけど。「衰えた」と思ってしまうけど。

きっと生まれてこの方ずっと多幸感と万能感の波にたゆたう感覚など味わったことの無い人もいるだろう。
そんな人の中に入ったと思えばいい。

衰え始めたじじいの体に押し込められたと思えばいい。

それでも俺ならなんとか出来んだろ?


0105.飽食批判(杓子(SN3R))2012/11/07(水)13:24

公園で、地面に落ちている何だか分からないものを一所懸命ついばみ歩いている雀と鳩を見て思った。

間違って枯れ枝だったり土くれだったりをつつきながらも地面の餌をあさるなんて、この子らよっぽど飢えてんだろうな、と。

さらに思った。
人間は自然に反した生き方をしている風によく言われるけど。
一日三食、腹一杯食べるのは飽食の時代現代の悪癖みたいに言われるけど。
じゃあ、野性動物は一日何食だといえば、「腹が減ってて、食えるときに食う」な訳ですよ。

飽食できるんなら、飽食が自然ってことじゃん。


0104.和気(杓子(SN3R))2012/10/10(水)20:10

空気を作る、加藤大悟はまさにそんなキャラクターだった。
感情表現が大きくストレートで、善かれ悪しかれ、いつでもクラスのムードを作っていた。

体育祭で2年3組が素晴らしいチームワークを見せたのが「善かれ」の方。

12月の末にクラスのイジラレキャラ佐竹育郎がマンションの非常階段から飛び降りて死んだのが「悪しかれ」の方だった。

彼が空気を作っていたので、彼とそのグループの行う「育郎いじり」を、「いじめ」と感じて笑いの輪に加われない者は、「空気の読めない奴」としてクラスのメインストリームから外された。

青野正子はそんな一人だった。

中学二年の一年間で、彼女は空気を作る者の傲慢と、空気に従う者の卑劣を知った。


0103.チャンス(杓子(SN3R))2012/10/04(木)08:49

自由化、規制緩和、競争原理、市場原理、自己責任、皆、導入時にはそれによって誰かに独占されていたチャンスが自分に回ってくると考える。
だが、誰かの仕切りで分けようが、争って奪い合おうが、パイの大きさが同じなら全員の取り分が増えることはない。
結局パイにありつけなかった大多数が「昔のように皆で分けあおう」と叫び始める。

中国でも、ロシアでも、日本でも。

なんてことをぼんやり考えるのは、ちょっと仕事に疲れているせいか?


0102.隠蔽(杓子(SN3R))2012/09/18(火)19:21

C#で、あるオブジェクトのメンバである配列を
int[] P = obj.p;
と参照したと思いねえ。

Cならポインタのコピーだ。ワンステップの処理にすぎない。

が、その一文で全体の処理時間が10倍から違うなんて事が起こった。

おそらく、一見メンバーそのものにしか見えないobj.pはプロパティで、代入の際にゲッターが配列を生成してるのだろう、という話になった。

隠蔽によって変数にしか見えなくなったインターフェイスは便利だけれども。

むき出しのパブリック変数より安全だけれども。

目に見えないところに重い処理が潜んでいるのは勘弁してほしい。と思った。


0101.「哲学」続き(杓子(SN3R))2012/09/02(日)17:22

しかし、こちらの意味の哲学は、「その哲学は間違っている」「その哲学は幼稚だ」と他人が軽々に言う筋合いのものではない。

人の、人生にかけるモチベーションはそれぞれに異なり、多くの場合、幼少期の体験や教育によって、その人に刻み込まれたものだからだ。

真実など無い、という意見も真実は一つ、という意見も、発言者の人生を知らずに肯定も否定も出来るものではない。
数学的な意味と違い、まず「真・偽」の定義からして、発話者の人生を反映したものだからだ。(数学の場合は、まず『○○を真とすると』というように公理(無条件で真とされる命題群)の仮定から話が始まる)

職種によっては特定の人生観を社員が共有する必要のあるものなどもあるだろうが、個人的な場において個々の「哲学」の優劣を論ずることは、従って、現在では意味の無いこととされる。

いや、格好をつけて曖昧な表現になった。

過去の一時期、「哲学」は個々の人生観を正す絶対的真実についての学と考えられていたこともあったが、そのようなアカデミズム、西欧中心主義は間違っている。
個々の人の持つ哲学についての学は、心理学、発達心理学、社会心理学などの受け持ちとなった。

他人の哲学について、哲学は何も語るべきではないのだ。


0100.「哲学」(杓子(SN3R))2012/09/02(日)16:58

「詩人」と「哲学者」は、職業を表す言葉と人の性向を表す言葉の二つの面を持つ。
「あの人は詩人だねえ」というのは、必ずしも路上で色紙を売っている人に向けられた言葉と限らない。
「あの人は哲学をもっている」というのも、ハイデガーなりフッサールなりの信奉者にのみ使われる言い回しではない。

「詩」と「哲学」、つまり人生に思い描く楽しみと人生を歩む上でのルールとは、誰もが当たり前に持つものだからだ。

学問としての哲学は、西欧が「教会」から「学会」の下に『真実』を定義する権利を奪い取るために発達したが、第三世界が発展し、いかなる学会でもインド系、中国系の学者が活躍するようになって、その役割を終えた。

今は、学問としての哲学の系譜は、エリアーデやデリダが前世紀末に主張した「人間の思想について話し合う語彙を増やす」ためのツールとして、現代思想あるいは現代文学に命脈を保っているにすぎない。

つまり、人の哲学を『間違っている』呼ばわりするような、真実についての学としての哲学はもう終わっているのだ。

僕が教養科目として学んだアメリカの哲学者ローティもそういう立場。

では、初めに述べた「人の生きるルール」あるいは「世界をどういったものと把握するか」というような、個人にとっての「哲学」の方はどうかというと、こちらの重要度は、時代によって下がったりしない。

人生に哲学がなく、その場その場の対応で方針を変える人は、信用できないからだ。


0099.無題(杓子(SN3R))2012/08/25(土)15:40

「あなたって、食べたの昨日なのにまだ口に残ってるニラの繊維みたいな感じなの。もう別れましょう」

「なんだよ、その、歯にものが挟まったような口の利き方は」


0098.雨でなければ晴れと言おう(杓子(SN3R))2011/09/21(水)19:04

「そっちは台風大丈夫ですか」
「ええ、もうこっちは晴れてます」
言いながら目をやる窓の外、道のアスファルトはすっかり乾いていたが、空には薄暗い雲が広がっている。

「雨は止んでいます」
と、言うべきだった、と思う。
こういう時に「曇り」という表現は使いにくい。
台風一過、すでに雨は上がって久しい、ということを表すのに「こっちは曇っています」と言うと、なんだかまだ晴れたわけではないと強調している気がしてしまう。
日本語では、「曇り」は雨の眷属なのだ。

「じゃあ、明日晴れたら釣り行こうね」と言われて「曇ったら?」とは問い返さない。
「晴れたら」は、天日干しでもする時以外、「雨でなければ」の意味を持つから。

昔日本に「みどり」という言葉が無かった時代、「青空」も「青葉」も等しく青だった。
「曇り」が無かった時代には、雨が降ってない日は全て「晴れ」と呼ばれたのだろう。

どうせ降りだせば濡れるのなら、厚い雲でも「晴れ」と呼ばないか。
いにしへの人のように、そこに何の前兆も読み取らず。
そして、今にも割れそうな曇天を見上げて、言わないか。
「まだだ。まだ晴れてる」と。


0097.2分法からの脱却(杓子(★))2011/09/12(月)18:01

 「人間には2種類ある。公衆便所で他人のうんこの残り香を気にする者と、自分のうんこの残り香を気にする者だ」
感動的な2分法である。
「うんこの残り香」という卑近なテーマを使いつつ、人間の倫理について説いている風な所が『トイレの神様』めいてて素晴らしい。
『トイレの神様』ちゃんと聴いた事無いので想像で言っているが。
しかし、論理的にはこれは正しくない。
「他人のうんこの残り香」と「自分のうんこの残り香」という、排他的でない2つの事柄について語っているので、残り香の気に仕方について全ての場合を網羅するなら、「人間には4種類ある。他人のうんこの残り香を気にするが自分のうんこの残り香は気にしない者と、他人のうんこの残り香は気にしないが自分のうんこの残り香を気にする者と、他人のうんこの残り香も自分のうんこの残り香も気にしない者と、他人のうんこの残り香も自分のうんこの残り香も気になる者だ」が正しい。
が、しかしこれは数学的あるいは論理学的に正しいに過ぎない。現実の状況というのは常にもっと複雑だ。
「他人の10分以上前のうんこの残り香は気にならないが、他人の新鮮なうんこの残り香は気になる」人や「他人の健康なうんこの残り香は気にしないが、他人の下し気味のうんこの残り香は気になって仕方が無い」人等が世の中には居る。
単純な2分法による世の中の色分けはかくして、人生経験の前にその化けの皮を剥がれる。
年を経て人間が丸くなるという事は、決して感覚が鈍化するという事だけではなく、人について学ぶ事で単純な2元論から解放され、より柔らかな視点を得るという事なのである。


0096.脱原発(杓子(SN3R))2011/08/26(金)22:52

代替エネルギー源なら、オゾン層が減ってパワーを増してる太陽光を受けてそれを熱以外の形にして地球温暖化を防ぐ事にも一役買ってくれる太陽電池がいいよね。でも、電力は貯蔵が効かないから夜間や悪天候に左右されないエネルギー源としては化学燃料の方がいいよね。
だから、太陽光を使って炭素化合物を造り出すような装置が有れば一番いいよね。
地下水を自動的に吸い上げ、空気中の二酸化炭素を原料に使い、どこででも自律的に活動し、自らの造り出した炭素化合物を材料に成長し、繁殖する、そんな装置が理想的だよね。



ちょうど植物がそんな感じだよね。


0095.ツッコミ専門のヒト(杓子(★))2009/12/25(金)21:11

ツッコミ専門なヒトってのがいる。
そういうのがジョジョネタの記事を書いてたりすると、あって当たり前の荒木作品の矛盾点を挙げつらうばかりで(それどころかそういう手合いは自己流解釈に固執するので、読み違えからくる言い掛かりも多い)読んでいて不快になる。

勿論、ツッコミ一律禁止と言うつもりはない。
みんながうっすら思っていたツッコミポイントを、的確に突いてくれてる文章など見ると、それ自体ネタとして面白い。

要は書き手がどういうつもりで書いているかだ。

「俺の方が賢いんだ」と皆にアピールしたがっている文が、誰にとっても楽しいわけがない。

そういう輩は決まって冷笑的な語り口を気取るし、大抵舌っ足らずな、説明不足な文章を書く。

相手に丁寧に自分の考えを伝えることより、ポーズとして相手より上位に立つ事を優先するゆえだ。


冷笑的でなければ馬鹿にされると思うのは、冷笑的でなければ馬鹿にされると思っている集団の中に居るからだ。

楽しい奴を見つけて、寄っていけ。

“楽しい”ってのは、誰かを下に置いて上に立つ気分じゃなくて、触れた人も一緒に持ち上げてくれるノリのことだぜ。



0094.『紅葉狩り』由来(杓子(★))2009/11/05(木)21:40

なぜ『紅葉狩り』か?

なぜ比較的派手な行事である桜鑑賞が『お花見』で、しみじみ浸る感じの紅葉鑑賞が『紅葉狩り』なのか?

最も単純かつ直感的な答えは『お紅葉見』が発音し難いから、というものだが、実は『紅葉狩り』の由来は鎌倉時代初期にあった。

百人一首に「小倉山峰のもみぢ葉心あらば今ひとたびのみゆき待たなむ」という歌があるが、ここには隠された意味がある。
撰者である定家がこの歌に込めたのは、初の武家政権である鎌倉幕府への呪いである。

もみぢ葉は「赤」、つまり赤を旗印とした平氏を連想させる。
それが「みゆき」即ち天皇の訪れを待つというのは、「いつか山奥に隠れ住む平家の落人達に、王政復古の玉璽が下る、その時を待つがよい」というメッセージである。

鎌倉時代、公家の間で「紅葉」は「平氏」を表す符丁であったのだ。

ある時、丹波山中に潜む平氏の残党を討つために、一群の御家人達が貴船山を通った。
そして、紅葉の季節とて、山遊びに来た天皇一行とばったり行きあった。

天皇が輿にかかった御簾の奥から問う。
「こののどかな秋の日に、物々しき様子で何をしようというのか」

幕府の御家人といえども行幸の前に殺生を行う兵を横切らせる不敬ははばかられる。

討伐隊の侍頭は咄嗟に
「我等も風流を楽しみたく山に来ましたが、何分山と言えば狩りとしか思わぬ不調法者揃い。貴人の紅葉を眺めるところ、紅葉を狩りに参りました」
と、言い繕った。

暗に「平家を狩りに来た」と匂わすこの口上に、公家達も道を開けざるを得なかった。
武士の示した機転という事でこの逸話は以後有名になり、爾来紅葉見物を『紅葉狩り』と呼ぶようになったと言う。




嘘だけどね。


0093.『沈まぬ太陽』感想文 その1(杓子(★))2009/11/02(月)22:09

セミドキュメント物って、人物の性格描写がステロタイプで、展開が平板でそのくせ重厚、ってイメージがあったのですが。

当たってました。

が!

すごい。

泣けます。

納得します。

決して、そっくりそのまま現実だとは思わないでください。
また、決して作者の夢想した絵空事だと思わないでください。

これは、作者山崎豊子が、綿密な取材から再構成した、“彼女の感じた”日本航空の現実なのです。


0092.『沈まぬ太陽』感想文 その2(杓子(★))2009/11/02(月)22:08

主人公「恩地元」のモデルが、実際に労働運動の懲罰人事として中東・アフリカを転々とさせられた小倉寛太郎氏なのは良く知られた事実のようですが、この小説の主人公は決して彼とイコールではありません。
作者によって、「大地に足をつけた」存在として描かれた彼は、日本航空に勤める全ての良心的社員の似姿なのです。

御巣鷹山の事故を中心に、日航の腐敗について徹底的に描きながらも、作者は常に現場の人間の誠実な努力を描きます。
この作品は日航の名誉を毀損しているとして、随分と攻撃を受けたそうですが、経営者や重役にとってはそうかも知れませんが、現場の社員については決して悪く書かれていません。
むしろ、この作品に描かれるパイロット、客室乗務員、整備士などの仕事ぶりは、一読頭の下がるものばかりで、僕は「たった一つのミスが多くの人命にかかわるような重圧のかかる職場で毎日働くなんて、僕にはとても出来ない」と、素直に感心しました。

御巣鷹山篇は、その凄絶な事故現場の描写が、心の繊細な人には衝撃的過ぎるかもしれませんが、それ以外の部分では、これは誰もが読むべき良書だと思いました。

当たり前のことですが、「真面目に自分の職務に取り組む人は素晴らしい」「名もなき誠実な人々の、日々の誠実な仕事の上に現在の日本の繁栄はある」ということを、真正面から、事実に即して、この本は教えてくれます。
決して日航のスキャンダルを扱った小説ではないことは、読んでみれば分かります。


でも、確かにこれ読むと、『公的資金投入して日航救済するのはヤメレ!』と思っちゃいますけどね。


0091.読中感想(杓子(★))2009/10/30(金)13:29

珍しく流行物に手を出している。

通勤の電車内で読んでいたのだが、衝撃の中篇の途中だったので、つい昼休みにも読み進んでしまった。
やばい。
泣いてしまう。
「ぐほぉ」と、男泣きに泣いてしまう。
女でも男泣きだ。
できれば人目の無いところで読むべき作品だこれは。

で、感想は読了後に。


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