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・・・! ・・。!。 これが底なし沼か! しまった・・落ちてしまった・・・・!
やばい・・・あがれない。 あの枝まで30cm、届けば助かるのに・・ もうちょっと・・ もがけばもがくほど沈んでいく・・・噂通りだ。 昔TVでみた、映画かなんかだったかな・・人がもがきながら沼に沈んでいくのを。それ見て俺ならあがれると思ってた。 あのときは誰か来て助かったんだったっけ・・・ でもこの周囲半径3km以内に人はいない、自力であがるしかない・・・!
って余計なこと考えてるうちに頭だけ、いや、手は出せる。 手は出せるけど出したとこでつかむものがない・・・ しかも上に手を出す代償として体がもっと沈みそう・・・
仕返しをしない人になりたい。
何か嫌なことをされたり言われたりしても、それに対しては全く反応せず、かつ怒るべきとこを考え、コントロールできる人になりたい。
今までの経験で、くやしくて仕返ししても何もいい方向に向かったためしがない。たとえそれで相手を叩き伏せることに成功し、一瞬気持ちよかったとしてもね。
仕返しされるであろうことを予測してる相手を唖然とさせるほど、平然と立ちすくんで、俺のアホさを思い知らせてやる。
俺が誰かを怒ったりするときは少なくとも仕返し以外のことでありたい。
そう心がけて、俺は今日も怪しく歩き、そして天然ボケと思われています。
無も感じない無。最近、俺はそれでもいいかも、と思うようになってきました。存在しないはずの無限の歴史の中で奇跡的に俺は数十年だけ存在させていただき、また無くなる。個人の存在なんてあってもなくてもかわらないもの。だから人は子供を産むのだと思いました。
無も感じない無。なんと的確に表現した言葉かと思いました。死後、どこぞやに行くわけでもなく、何かを考えられるわけでもなく、1979年以前、誕生する前と全く同じ状態に戻る。俺がいつ死ぬかはわかりませんが、俺の中の全ては1979年からその時までしか存在せず、それ以降は全てが消え、1979年以前はなにも存在しなかった。人も地球も温度も時間も空間も何もかも。実際はそれがあったのだろうし俺の死後も存在し続けるのかもしれないけど同じことだ。そのとき俺は無も感じない無なのだから。
これは無信教者なら誰でも考えることで、最も辛く、悲しく、むなしくて、怖い考え。そのうえ現実的で、一番有り得そうだ。
意思(創造者)の存在を信じながらこれも一つの可能性として捨てきれない俺は小さい頃からよく死後について人に尋ねました。母上は「わからない」と・・・。「天国に行くのよ」などという答えでごまかしきれないし、まさかこんないたいけな幼児に「無も感じない無よ♪」という残酷なことは言えなかったのでしょう。
俺・・・ 顔洗ったっけ・・・ 洗ったよな・・・
なのにこんな寝ぼけ眼・・・
今年は誕生日おめでとうって・・・ 言おうと思ってたんだよ
おもむろに車を走らせスーパーでショッピング。夕食のメニューなんて考えてない。目的もなく店内をただうろうろ・・・
右手の買い物籠には一房のバナナ。店内を一周して一通り品物を眺めて、もう一周して結局そのままレジへ。
バナナを買いました。
エンジン起動>ギアバック>サイドブレーキ解除>ブレーキちょっと開放し僅かに進み、もっかいブレーキ>後ろを見ながら発進♪
車をバックで発進させるときの俺のプロシージャーです。最後から二番目が特徴なんですけど、後ろを見る前にちょっと進むのが癖です。一瞬、10cmでもいいのですがこれをしないと気がすまないようです。ブレーキペダルはエンジン起動前から踏んでいるものですからバックする頃には足に結構力がかかっていて一旦その力を解放してからブレーキをかけ直しているんですね。後ろみないでバックしているとはいえ、まさかその10cmのせいで誰かにぶつかるということはないでしょうから。
でもそれを考え出してしまった・・・
たまたま歩いてきた人が絶妙のタイミングで足ろ後輪のとこに置き、俺は後ろをみなかったがためにそれを踏んでしまったり・・・ (このくらいならまだ許せる・・・)
車の後ろを歩いていたおっさんが小銭を落としてしまった。そしてその小銭はコロコロと車の下、しかも奥へ。おっさんはコンクリートに横になって必死に手を伸ばすが、なかなか小銭に手が届かず。そうこうしているうちにこともあろうに頭が車の後輪の後ろに挟まって抜けなくなってしまった。そこへタイミング悪く俺が現れエンジンをかける。そしてガチャっという機械音と共にギアがバックに入る。焦るおっさん。しかし幸運にもこれを別の通行人が発見し止めにはいる。通行人は、必死に手でバックするなと俺に合図を送り、おっさんは一安心。だがなんと俺は後ろを見ていない。いつものようにブレーキを緩め、ちょっとだけ下がった俺は鈍い感触を覚え、通行人は青ざめ、おっさんの頭はぐちゃぐちゃ・・・
こんな想像をしてるうちにだんだん、ブルーになっていき、俺はこの癖を直そうと決めました。
俺昔、傘を広げてアパートから飛び降りることをよく考えていました。傘1つじゃむりっぽい、5階だし、でも傘3つくらい広げて飛び降りればきっと大丈夫、いつかやってやろうと思ってました。しかし見下ろした景色を前にさすがに勇気が出ず・・・ ま、今考えてみるとやらなくてよかったと思いますが。 きっと死んでた・・・。
よくこの狭いアパートから飛び立つ夢をみた。両手広げて飛んでたり、何故か正座スタイルで飛んでたり、やっぱり夢でも怖くて飛べないときもあった。
俺、パイロットになればよかったな〜
買い物帰り、山をまたぐ巨大な虹を発見、ボ〜っと眺めていたら、その虹を覆うように更にでかい虹が現れたよ。俺運転中だったんだけどさ、すっげ〜〜と思って眺めてたら後ろの車にプップッって鳴らされた。「こんな綺麗な虹がかかってるのに運転してる場合じゃねーべ!」と逆ギレしそうになりましたが、俺は渋々車を発進させました。
虹、二度と人を滅ぼさないという神の誓いの証。やっぱもう人は滅びないのかもと思える瞬間でした。
勢いよく起き上がった座席に背中を打たれてグハッって。。。 エンジンをかけて煙草を吸い終わったらまた座席と共に横になる・・
何考えてんだろ、俺・・・ 何か考えてる気がして何も考えてねえんだろうな・・・ ・・・。 今は癒されたくねーよ。
でもこの曲・・・落ち着く・・・うめぼしか・・・
言葉って概念です。だから概念のないところに言葉は存在しないし、言葉がないということはそこにそういう概念が存在しないということなんだね。鉛筆って言葉だって鉛筆があるから存在するわけだし、日本人誰もが鉛筆を見たら鉛筆って思うよね。でもそういう物の言葉じゃなくて感情の言葉ってすごく曖昧。何かしてもらって嬉しくて感謝するとき、日本人ならありがとう、フランス人ならメルシー、韓国人ならカムサハムニダ、アラブ人ならシュクラン、アメリカ人ならサンキュって思うさ。でも感じ方が微妙にみんな違うんだよね。言葉ってメチャクチャたくさんあるけど、それでも足りないさ。だって人の感情は無限だもん。愛だってそうです。愛っていうのはこうこうこういうものだよって説明できる人なんていないはず。その説明が頗る素晴らしいものだったとしてもそれはその人だけのものであって、愛という言葉に対してその説明とある程度同じように感じてる人もいるだろうしそうじゃない人もいるさ。愛という概念のない人なんかいくら説明したってさっぱりなんだよ。
実際に美しいという概念が全くない民族がいます。そういう人に日本語を教えるとしてさ、これが靴、これが人、これが車、ってだんだん単語を覚えさせて、私の名前は○○ですみたいな簡単な文章とかも教えて、だんだん日本語を話せるようになったとしても美しいという言葉だけはいくら教えてもさっぱり理解できないんだ。実は俺がんばってやってみました。花と腐った果物の写真を並べて、これとこれだったら花の方が美しいんだよ、じゃこれとこれどっちが美しい?ってゴキブリと蝶々の絵を並べたんだけど、「ウー・・・」って悩むんだ。ま、その人はそれからだんだんわかるようになっていったんだけどね。
言葉ってやっぱ難しい。最初はどうやってできたんだろ・・・ 「おい、これからこれのことを『石』と呼ぶことにしようぜ!」。こんな感じ?なわけないね。たぶん最初はウ〜とかア〜とか言ってたのがだんだん同じ物に対して同じような声を出すようになってそれがだんだん言葉になっていったんだね。
お疲れ様・・・・♪
ドア、ズボン、時計、鍋、蛇口、コンセント、車、洗剤♪
おやすみ♪
ビタミンCよ、Eよ、コラーゲンよ、俺の表面に行き渡り、満ちて綺麗な肌となれ!
頭の中のイメージが有名で偉大なものに侵される。 それに浸ってしまえば、もっといいものになって、もっといいものが作れるはず。でもセキュリティーを施して自分のままでいよう。
どんなに落ちこぼれても、隔離された島マダガスカル島の生き物のように、自分だけの進化を遂げたい。
見たことも聞いたこともない二人が、知り合いになって、そして恋人になった。運命的なものも、なにも感じなかったけど徐々に徐々に。 俺はね。
俺の中で密かに記念な日。 覚えてるかな・・・
背中が上になってるときから逆に回るときが、更に激痛。体の重りでグルンって回る・・・
それでも唯一動く目をぎょろぎょろさせながら周りを気にしていました。 さすがにこんなみっともない姿を人に見られたくないのだ・・・
3mの剣を口から下に貫かれて、持ち上げられ、火であぶられてます。両サイドの奴らは、俺の体に満遍なく火が通るようにゆっくり回す・・・。
剣で口が開いてるし、喉も内臓もぐちゃくちゃ、痛いし熱いし、抵抗できぬ・・・
「いいか〜、髭はな、下に向かって生えてるからしたから上に剃ると一番よくそれるんだ。こ〜ぅいう感じでな。でも全部の方向で剃らないとだめだ。剃り残しができるからな〜。口の下を剃るときは唇を切らないように気をつけるんだぞ〜 わかったな〜。」
このとき俺は、五歳児にして、髭の剃り方を知りました・・・。
蟻の巣とちょっと離れたとこに、ケーキが落ちてた。ケーキと巣の真ん中でゴリラが喧嘩してて、でもそれにもかかわらず蟻は行列をつくり、せかせかとケーキを運んでた。ケーキに行く道か帰りにゴリラに踏まれてしまった蟻がたくさん転がってる、それにもかかわらず蟻は何事もなかったかのようにケーキを運んでる。見かねた俺は一匹の蟻にたずねました。「お前これからあのケーキのとこまでいくのか?」「ああ、そうだよ」「いや、お前ゴリラに踏まれて死ぬって!」「ハハハ・・・」「いや、ハハハじゃなくってさ、あそこでみんな踏まれんじゃん!」「踏まれて痛いわけじゃないしさ、いいんだよ」「お前の人生終わるんだぞ!」「??それってたいしたことなの?」「・・・。 OK・・・Go ahead・・・。」
車の中、適当な音楽をかけながら一息つく。 火も消さず、煙草を灰皿に突っ込む。閉じられた灰皿の中で、徐々に消えていく火を想像しながら、ゆっくり一呼吸つきました。
気付いたら鉄の部屋にいました。窓もドアも模様も椅子も机も、まるっきりなんにもないただの灰色の四角い部屋。ただその部屋の壁の上の方に一つのまるいボタンがありました。
何日かたってここからは出られないと悟りました。窓も電気もないのに何故か明るい部屋。やることはなくてただ、ボタンを押したくてしょうがありませんでした。背伸びしてもジャンプしても届かないそのボタンを押したくてしょうがありませんでした。毎日毎日ジャンプの日々。そしてそれに疲れたら眠り果てていました。
言葉を練ったり、こねたり、叩いたり、引っ張ったり、何かをかけたり、焼いたり、蒸したり、色つけたりする前に
好きと言えばよかった・・・
思い出の服。もう3年も使っててさすがに限界かなって。
その服の襟の後ろのとこに、プラスチックの細長いやつがついてた・・・
一万人に一人の割合で俺が産まれる・・・
全世界で俺の人口は60万人。ドイツの俺はドイツ語を喋り、中国の俺は中国語を喋る。
俺は決して国会議員に出馬したりしないけど、もししたとしても当選することはない。俺自身が俺に国はまかせられんと思ってるから。
東京ディズニーランドがいっぱいのとき、園内に俺は10人いる。たまに会うとちょっと気まずい。
街で子どもの俺を見かけるとなんだか懐かしくなり、年配の俺を見かけると少しブルーになる。
建設業、販売業、整備士、色んな職に就いた俺がいる。頑張って勉強した俺は弁護士になってるかも。でも芸能人や有名なスポーツ選手になった俺はいない。所詮俺は俺なんだ。
昨日ニュースで見た。俺が宝くじで1億円当ってた。羨ましい。 でも他のニュースでは殺人事件に巻き込まれて俺が亡くなってた。男女関係のもつれらしい。
世界中色んな俺がいる。
閃いたアイディアがうっかり成功してお金持ちになったアメリカの俺。飢えて死んでいうルワンダの俺。普通に幸せな家庭を築いて生活してるフランスの俺。家族を残し、戦争で死んでいったイラク兵の俺。
初めての曲に、恐怖みたいに感動してすごくせつなくなったとき、俺は誰を思い浮かべたらいいのでしょう。