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喉渇いてると勘違い。水分補給してんでもなくて、体の中に流すその瞬間の快感求めて何度も何度も水飲んでんだー
不快感じりゃそれ消すため動き、消えたら快感得て、人の行動全てその繰り返しだと思えてきたら
また服着替えんだ
悲しいっで気分気持ちじゃなくて…
服だったんだ
どの服着てこっかな、って取り出した「悲しい」の服
今日はこれ着ていこう
「うれしい」は洗濯中だから…
四本足で歩き、飛び跳ねる、いつも不思議そうな顔してまわりをみているようなやつを家におきたい。 そいつは俺のことを餌係程度にしか思ってなくて、でも餌くれるからちょっと好きで、あとは勝手気ままに行動する。 そんなやつに居てほしい。 動くものを発見したら気になってしょうがない、手でつついてみるが、その相手が反応したらビックリして逃げる。 なんて様子を眺めてたい。 実はそいつはいつもかまってくる俺のことウザイと思ってるがいないとちょっと淋しい。 そんな自己中で世話のやける、やつ。
昔のCDを家のすみっこで発見した。 それはアメリカでの一年間車のCDプレイヤーに突っ込みっぱなしだったやつだった。 それを聞いたらその一年の楽しかった映像が鮮明によみがえってきて、泣けてきた。
この他にもまだまだある我慢し難いチャット用語
「今日をもちまして私チャ卒します」
卒業ってお前… いつ入学したんだ。
「引退します」
いつプロ野球選手になったんだ。
「復活します」
これで何度目だよ…
チャットなんてのは所詮ネット上の適当に人がいるとこに行って文字で会話する遊びなのに、あたかも何かの団体かに加入か登録でもしていて、惜しまれつつそこを脱退するような雰囲気をつくりだそうとする輩。 そういうのに限って不死鳥の如く何度でも蘇ってくる。
チャットというものが世に広まるにつれ、次々と生まれてきたチャット用語。この中に俺には極めて我慢し難いものがいくつかある。
常連。
「俺常連です」…。そこのチャットによく出没するというだけで、何故そんなに偉そうなんだ…。 「IH五年連続出場の常連校です」というのが本来の使い方だ。IHに出場するに至ってはさぞかし血のにじむ努力を重ねてきたのだろう。IHの常連は確かにすごい。しかし…「俺ここのチャットの常連」… んなこと誇らしげに言ってどうする…
『全部わかった!人が産まれ死に行く意味も。命を繋げるためとか漠然にじゃなく、全て納得いく完全なる答えがわかった!全部の謎がつながった。これで全てが説明できる!この一瞬の人生になんの意味があるのか、どこから来てどこに行きどうなりその後何をするのか、全部わかった!
死ぬ前にやっとかなきゃいけないことはアレとアレだ!早く職やめてアレやらなきゃ!』
って感じにスカッといかねーかな…
今の俺のやらなきゃならないことは取りあえずこの醤油を含んだズボンを洗濯することだ。
それ以外はわからねー。
昔、カエルをたくさん殺した。踏んだり握り潰したり。そのうち潰して汚くなるのが嫌になり、投げたり虫眼鏡を使って焼いたりした。足をもって振り回したりどこに行くのか追っ掛けてみたり、なんか楽しい遊びかた考えて、爆竹で爆破してみたり。爆竹はうまくいかなかった。なんかかわいそうになり逃がしてやることもあったし、やっぱ逃がすのが癪で殺すこともあった。もがく姿を見ては友達と笑いあった。
動くものに興味を示し、遊んでるだけなのか、殺すことや敢えて殺さないことに何かを感じているのか、自分の優越を楽しんでいるのか、ガキって…
何故そんな発言を?それで場の雰囲気が盛り上がるとでも思っているのか。と、これまで全く解せぬオヤジのダジャレに時にはためいきさえついていたのに、最近こともあろうにそれが俺の口から出そうになる。俺もそろそろいい年だ。奴らの仲間入りを果たしてしまったのか。それを認めまいとする自分が、唇をこじあけ外に出ようとしているダジャレを必死で阻止している。
「俺甘いもの好きっすよ」
『だってお前名前佐藤だもんな…』
言ってはならん。言ってはならんぞ。逝くのはまだ早過ぎる。お前はまだそっち側の人間になってはならん。
無残にも髪の毛を切り落とされました。無抵抗の人間の髪の毛を無常にも切り捨てるとは…
トコヤさんの特権ですね。
ま、いーや別に痛いわけじゃねーし。
…もし髪の毛全てに神経が通ってたら大変だろな…
「ギャ!! あの…一本一本にしていただけますか…」
@
今年も早いものであとわずか。毎年そう言いますし、実際そうです。年が過ぎるのって実際早いよね。しかも毎年だんだん一年は短くなっていくし。
「一年は短くなっていく」、よく口にされている大人気のセリフですが、それもそのはず、1歳の赤ん坊にとって1年は人生全てでですが、50歳の人にとって一年など人生の50分の1にすぎません。1年を(自分の人生)分の1と感じるなら毎年短くなっても当たり前。そう思っていました。
A
しかし果たして本当にそうなのか・・・と今朝思いました。
人の運命は予め決められているものなのか、それとも数々の選択判断によってつくりあげていくものなのか、そんなことを誰しもが考えたことがあると思いますが実際のところなんとも言えません。・・・話が反れた・・。言いたかったのは・・・ 人がどんな運命を辿って死ぬかはわかりませんが、不幸な事故、災害とかを抜きにした自分の寿命を体は知っていて、それがその人の時間の感じ方に影響を及ぼすのでは ・・・ということです。 人の体には体内時計というものもあるし、人の一生における心臓の鼓動の回数、細胞一個の生まれ変わる回数と期間は決まってるらしいじゃないですか。それなら寿命も決まっていてもおかしくない。
B
そしてその情報はDNAにあるわけだから脳で感じることに影響を及ぼしそう。というわけで一年が短くなるというのは、人生の長さとの割合だけではなくてその人の寿命が絡んでいるのでは・・と考えたのです。
これが正しいとすれば、時の感じ方の変化が激しいほどその人の寿命は短いということになるし、時間の感じ方の変化で自分の寿命がわかるじゃん! そう思って式をつくりました。
自分の寿命が時間の感じ方に影響を及ぼすということは、過去のある年齢と現在の年齢との寿命の変化とその期間の時間の感じ方の変化は、同じということになります。
C
したがって、寿命をL、過去のある年齢をA、現在の年齢をB、過去のある年齢と現在の年齢の時間の感じ方をFとすれば・・・
L−B
−−−−
L
−−−−−− = F
L−A
−−−−
L
D
これを簡単にして
B−FA
L=−−−−
1−F
となります。−−−−←わかりづらいですがこれは分数の線です。
例えば25歳の人にとっての一年の長さが、20歳の時感じた一年の長さの16分の15と感じたとき、この式に当てはめて、L=100。つまりこの人の寿命は100歳ということです。
E
自分の寿命が知りたい方は是非この式に当てはめてやってみてください。とは言っても自分があのときと比べて一年が何分の何になった〜なんてわかりづらいよね。だからテキトーに。でもいくらテキトーっていっても井戸端会議のおばさんみたいに「今年もあ〜っという間よね〜去年の半分しかなかったわよ〜」なんて言ってるととんでもない数字になりますよ。それと、寿命あと二年だ・・・なんてことになっても気しないように。よい結果をお祈りしております。
すべての物理法則のみならず、心理、経済、歴史、及び語学、音楽、さらには趣味に至るすべてのことにかかわるエネルギーの移動、動き、流れ、に法則があってそれが創造者が決めたたった一つのことであり、彼はその法則とある程度のエネルギーだけを置き、眺め続けている。 ・・・ような気がする。
青筋たてて矛盾を追究するほど理に適った行動してきたのかよ
成す術がなかった… 原因を探ること以外なにも。眉一つ動かす俺に考えることだけだった。原因原因原因。
世間じゃ反省って呼ぶわな、自分を見つめ直すとも言えるわな 原因なんて存在しねんだもん。それかとっくに知ってるか。それを知らないフリして、言い訳を集めながら永遠にありもしない原因を探してるのかよ
底無し沼…
普段よく怒らない人
普段全然怒らない人
怒る人なら怒るようなこと、怒らない人が怒らなかったとき、ソレはどこへ行くのでしょう
怒らない人は怒らないようなことで怒る人は怒った。ソレはどこから来たのでしょう
浅い?それしきの考え
とうしてこうなったんだろう
あれから?あのさ、あの小四のときのアレ
それともアレ?言えないけどもっとずっと昔のアレ?
ゴメン、あの発言は取り消します。だって…
こんなこと考えるのも、俺が俺を語るとき
それ全部言い訳だって言うの!!?
・・つま先・・・何もない。泥の感覚だけだ・・・ なんて深さだ。 ただの泥溜まりなのに・・・。
泳いでみよう!腕を体にみっちりつけた状態からまっすぐ指の先から上に伸ばして グワッとかけば少しは体が浮くはず。 よし、1,2,3、グワッ!
・・・!だめだった・・・ そりゃそうだよな・・・自力では決して這い上がれない底なし沼。こんなこと誰だって思いつく・・。
あ〜!方法がない、時間もない、動けば沈むし・・・
。。。 口も、鼻も、沈む・・・。
こんなことならエラ呼吸の練習でもしとけばよかった・・・ ってわけのわからんこと考えはじめたし・・・
・・・ !! ゴボゴボ・・・
・・・! ・・。!。 これが底なし沼か! しまった・・落ちてしまった・・・・!
やばい・・・あがれない。 あの枝まで30cm、届けば助かるのに・・ もうちょっと・・ もがけばもがくほど沈んでいく・・・噂通りだ。 昔TVでみた、映画かなんかだったかな・・人がもがきながら沼に沈んでいくのを。それ見て俺ならあがれると思ってた。 あのときは誰か来て助かったんだったっけ・・・ でもこの周囲半径3km以内に人はいない、自力であがるしかない・・・!
って余計なこと考えてるうちに頭だけ、いや、手は出せる。 手は出せるけど出したとこでつかむものがない・・・ しかも上に手を出す代償として体がもっと沈みそう・・・
仕返しをしない人になりたい。
何か嫌なことをされたり言われたりしても、それに対しては全く反応せず、かつ怒るべきとこを考え、コントロールできる人になりたい。
今までの経験で、くやしくて仕返ししても何もいい方向に向かったためしがない。たとえそれで相手を叩き伏せることに成功し、一瞬気持ちよかったとしてもね。
仕返しされるであろうことを予測してる相手を唖然とさせるほど、平然と立ちすくんで、俺のアホさを思い知らせてやる。
俺が誰かを怒ったりするときは少なくとも仕返し以外のことでありたい。
そう心がけて、俺は今日も怪しく歩き、そして天然ボケと思われています。
無も感じない無。最近、俺はそれでもいいかも、と思うようになってきました。存在しないはずの無限の歴史の中で奇跡的に俺は数十年だけ存在させていただき、また無くなる。個人の存在なんてあってもなくてもかわらないもの。だから人は子供を産むのだと思いました。
無も感じない無。なんと的確に表現した言葉かと思いました。死後、どこぞやに行くわけでもなく、何かを考えられるわけでもなく、1979年以前、誕生する前と全く同じ状態に戻る。俺がいつ死ぬかはわかりませんが、俺の中の全ては1979年からその時までしか存在せず、それ以降は全てが消え、1979年以前はなにも存在しなかった。人も地球も温度も時間も空間も何もかも。実際はそれがあったのだろうし俺の死後も存在し続けるのかもしれないけど同じことだ。そのとき俺は無も感じない無なのだから。
これは無信教者なら誰でも考えることで、最も辛く、悲しく、むなしくて、怖い考え。そのうえ現実的で、一番有り得そうだ。
意思(創造者)の存在を信じながらこれも一つの可能性として捨てきれない俺は小さい頃からよく死後について人に尋ねました。母上は「わからない」と・・・。「天国に行くのよ」などという答えでごまかしきれないし、まさかこんないたいけな幼児に「無も感じない無よ♪」という残酷なことは言えなかったのでしょう。
俺・・・ 顔洗ったっけ・・・ 洗ったよな・・・
なのにこんな寝ぼけ眼・・・
今年は誕生日おめでとうって・・・ 言おうと思ってたんだよ
おもむろに車を走らせスーパーでショッピング。夕食のメニューなんて考えてない。目的もなく店内をただうろうろ・・・
右手の買い物籠には一房のバナナ。店内を一周して一通り品物を眺めて、もう一周して結局そのままレジへ。
バナナを買いました。
エンジン起動>ギアバック>サイドブレーキ解除>ブレーキちょっと開放し僅かに進み、もっかいブレーキ>後ろを見ながら発進♪
車をバックで発進させるときの俺のプロシージャーです。最後から二番目が特徴なんですけど、後ろを見る前にちょっと進むのが癖です。一瞬、10cmでもいいのですがこれをしないと気がすまないようです。ブレーキペダルはエンジン起動前から踏んでいるものですからバックする頃には足に結構力がかかっていて一旦その力を解放してからブレーキをかけ直しているんですね。後ろみないでバックしているとはいえ、まさかその10cmのせいで誰かにぶつかるということはないでしょうから。
でもそれを考え出してしまった・・・
たまたま歩いてきた人が絶妙のタイミングで足ろ後輪のとこに置き、俺は後ろをみなかったがためにそれを踏んでしまったり・・・ (このくらいならまだ許せる・・・)
車の後ろを歩いていたおっさんが小銭を落としてしまった。そしてその小銭はコロコロと車の下、しかも奥へ。おっさんはコンクリートに横になって必死に手を伸ばすが、なかなか小銭に手が届かず。そうこうしているうちにこともあろうに頭が車の後輪の後ろに挟まって抜けなくなってしまった。そこへタイミング悪く俺が現れエンジンをかける。そしてガチャっという機械音と共にギアがバックに入る。焦るおっさん。しかし幸運にもこれを別の通行人が発見し止めにはいる。通行人は、必死に手でバックするなと俺に合図を送り、おっさんは一安心。だがなんと俺は後ろを見ていない。いつものようにブレーキを緩め、ちょっとだけ下がった俺は鈍い感触を覚え、通行人は青ざめ、おっさんの頭はぐちゃぐちゃ・・・
こんな想像をしてるうちにだんだん、ブルーになっていき、俺はこの癖を直そうと決めました。