![]() |
決めてないがとりあえず中国へ入り、香港へ行かないことには残り500ドルしかない上にクレジットカードもない。郵便の信頼できるところまで行って再発行したカードを送ってもらう。
その後は冬場でもヒマラヤ越えが可能ならばチベットへ向かい、ネパール、インド。だめならヒマラヤを迂回してパキスタンと考えていたが、パキスタンも冬場は無理だとのこと。恐らくはキルギスタン、タジキスタン、トルクメニスタンなど中央アジアを通るルート、つまりはシルクロードをそのままたどるルートを取るだろう。
十一月二十八日、カンボジア入国。アンコールワットに大感激、タイで見てきた仏教遺跡がすべてしょぼく感じるほどにインパクトがあった。内戦の爪あとに自分の無力さを感じ孤児院で日本語を教える。彼らはやがてアンコールでお土産を売る。日本人にふっかけてはたくましく生きていってくれるだろう。
十二月五日にはベトナム入り。ベトナム戦争の爪あとと彼らのたくましさを垣間見る。今にいたる。
十一月二日にはタイ入国、さまざまな遺跡を観光しパスポートとクレジットカードと偽学生証を盗まれる。長く滞在したためタイ語もほんの少し覚えた。マレーシアへ行こうと思っていたが気が変わりカンボジアへ向かった。
十月二十九日にはラオスへ入国。陸路入国はある一線でがらりと言葉も文化も変わる。突然左側通行になったりする。ラオスの人々はいつでも屈託のない笑顔を投げかけてくる。子供たちとセパタクローをしたりもした。
十月十三日にはデジカメを盗まれ、その足で雲南省へ向かう。雲南省は少数民族の宝庫で、さまざまな文化が一度に楽しめる。中でもナシ族自治州の中にある麗江では、四方を山で囲まれた田舎町で昔ながらの中国の町並みとおとぎの国にトリップしたかのような感覚を覚えた。
十月三日に日本出国、五日には大陸の地を踏んだ。中国はあまりに見所の多い国で1カ月のビザではとても回りきれない。彼らは「音」をあらわす文字を持たないため外国語の習得には皆苦労する。そのため英語を話せる人間はほとんどおらず、中国語の習得を余儀なくされた。帰国したら中国語検定を受けようと思う。
社会主義国はネットが安い。どうも中国の話を聞くと、電話の通話料は無料だということらしいのでそこらへんに安さの秘訣があるのかも知れませんね。さすが全体主義。
今はプノンペンにてアメリカ人と部屋をシェアしてます。カイエンは典型的なアメリカ人で、こいつを見ているとなるほどヨーロッパ人から嫌われている理由が良くわかります。偏食が多く、基本的にハンバーガーにフレンチフライ、ペプシコーラしか口にしません。エミネムを口ずさみ「ファック」「シット」を連発、バスでは靴のままフランス人の横に足を投げ出していました。品がないですね。気を使わなくてすむけど。
日本大使館にひたすら待たされ、気づいたらオーバーステイギリギリだったので慌ててカンボジアに入国しました。アンコールワットはすごいね。今まで見てきた仏教遺跡がちゃちに見えてくるほど。
他の国の遺跡に比べて激しくぶっ壊れてるところなんて最高だね。東南アジアを周る時はカンボジアを最後に持ってくるべきです。
おもわず、地球ーはまーわーるー と口ずさんでしまいます。
おしゃる大丈夫か〜?
異国の人って上手に取ってくのねぇ。。。
負けるなよ〜
元気にお気張りやす〃
生きてるならよしだな
ちょっとくじけそうです。
大丈夫か!?災難やなぁ
今度はパスポートとクレジットカード2枚とインターナショナルキャッシュカードを盗まれました。手持ちの現金で1週間堪えなければなりません。
そんなにスキがありますか!?
詳細は後日。
明日は第二次大戦の悲劇の舞台カンチャナブリへ行ってきます。日本人として行かなければならない気がします。
悪さばっかしとってもいかんもんね。
私ゎちゃんと見れてるよぉ
おしゃる元気かね?
悪さばっかしとっちゃかんよぉ〃(笑)
なんかここ開くのすっごい遅い....題名も過去レスもでてない....
なに?時差?こわいこわい
げんき??????
毎日ダラダラと過ごし日本人旅行者の集まる場所、社会不適合者の吹きだまり、海を越えた引きこもり達の巣くつで毎日乾燥した葉っぱに火をつけてとろとろの目で大爆笑してます。
このままではやばい!もう明日出発します!理性があるうちに!!
今バンコクにいます.暑苦しい国の一番暑苦しい地区でだらだらしてます.あちぃ
屋台に並んでいるひつじの肉を食べたところ、翌日思いっきり下した。明け方に異変に気づくと上から下から蛇口のごとく出るは出るは。へろへろになって蚊帳の中に横たわる。トイレと蚊帳の往復を繰り返す。
「今回はヤバイ」
排泄物の異様な匂いに危機感がつのる。
だるさと間接の痛みでまったく動けずベットメイクも断って、というより鍵を開けにいけなかった、ひたすら寝た。とりあえず水分だけは十分にとった。
2日間お茶とりんごだけで過ごした。というのも動けるようになっても食事への不信感が消えなかった。半泣きでこの旅初、味噌汁を飲んで本気で帰ろうかとも思ったが、今思えばあれだけ暑い地域で生肉をならべる店に入ったおれがうかつだった。完全に一人であったことも心細かった。
ラオス入りしました。国が丸ごと登呂遺跡のようですね。その代わり極端に貧しい人々というのは見てないのでなんだかのんびりほのぼのしております。
登呂遺跡には銀行がないので困ります。
儒教の国では食事の際に茶碗や皿を手に持ったりしない。
中国人は日本人3人が3人ともお茶碗を手にとり掻き込む姿を見て笑い、その日本人は中国人が食い散らかす様を見て笑う。
荷物がかなり増えたので、特にDr.Hoの漢方薬、第一便を送ることにした。自分や友人、ハニーバニーの土産もんと、写真、これらは盗まれる前に送っておきたかったというのもあるが何よりも重い。
航空便だと2キロまで3000円弱で50日、船だと1500円弱で約3ヵ月。
さんかげつっ!?
中国人に向かって「リアリィ?」を連呼した。
でも安い船便にした。
漢方薬と、なぜかよく分からないのだが50元のロレックスは郵送できないらしいとのことだったのでロレックスは持ち歩くしかなく、漢方薬は「ハーブティだ!」と言い張ったら通った。
ハーブティと漢方の境目はどこ?
彼はおれをうす暗い、漢方薬臭い部屋に連れて行くとこういった。
「May I help you?」
薬を作ってくれるらしいことを理解した。
父が糖尿病であることを話すと彼はおもむろに調合を始め、おれは黙って見ていた。おれは言い知れぬ、なぜか快い威圧感を感じていた。調合が終わるとまた彼はやさしい笑顔で渡してくれた。その間、お金の話は一切なくつい自分から切り出してしまった。彼はあなたの気持ちだけでいいという。
おれは10元(約140円)を渡すと、またやさしい笑顔で彼は受け取り、おれはその場を去った。パスポート無しではお金を作ることができないのだ。ツインの部屋が20元の町の話である。当時のおれにとっての10元の価値はかなりのものであったことを理解していただきたい。
彼の情報を求めます。
あまりにもみすぼらしい診療所から「ハロー」と英語が聞こえる。老人が立っていた。この英語のほとんど通じない国で老人から英語を聞いたのは初めてであった。彼はやさしい笑顔とともに椅子と、そしてハーブティを差し出してくれた。彼の名は「和士秀」、ドクターだと言う。お世辞にも広いとは言えない敷地内にはところせましと薬草、世界各地からの手紙、著名人との写真、彼が表紙になっている雑誌類が並んでいた。中には桜モモコのサイン、「DR.和士秀へ」とかいてある、もある。彼はTIMEの表紙になったこともあると言っていた。
彼との出会いは全くの偶然であった。
麗江、チベットの横に位置する4000メートル、5000メートル級の山々に囲まれた海抜3000メートル弱の盆地。殺伐として広がる荒野と吹き抜ける冷たい風、肌で感じるあまりにも近い日差し、ゆっくりと流れる時間。おれは麗江に魅せられていた。
仮にパスポートがあったらどれだけ長期に滞在したかわからない。
それは今なお牛が畑を耕す何もない農村、白沙を訪れたときだった。メインストリート、といっても干からびた唐辛子、トウモロコシ、ちょっとした土産ものが並ぶだけの通りにその診療所はあった。
おれが切り出す。
「夜行バスのチケット買うときってパスポート見せるっけ?」
「不要(ブーヤオ)」
「夜行バスで麗江行って、その日のうちに夜行で大理行って、夜行で戻ってきたらビザができてるよね?」
かくして雲南省少数民族巡り寝台バスの旅が始まった。
*寝台バス。普通のバスに幅50センチ、縦180センチの寝台が22個ならぶ恐ろしいバス。痩せていることが生まれてはじめて幸いした。
実際には麗江で民宿っぽいところでパスポート無しで1泊させてもらうことができた。
10月19日、西安で同じ部屋になったダイキと再び合流。おれはラオスビザを、ダイキはヴェトナムビザを申請した。つまり領事館にパスポートを預けることになった。いずれも3、4日かかるとのこと。
昆明にはおれはすでに5日滞在していたし、そもそもが東南アジアへの中継地点にすぎず特に観るところもない都会である。かといってパスポート無しではホテルにチェックインすることは困難なので実質クンミンに缶詰である。
「クンミンに3日も居なきゃいけないのかよ」
「おれなんか盗難届けのせいでで5日もいるぜ。動物園まで行っちゃったし。」
「、、、」
「、、、」
おれは今もクンミンに(昆明)にいます。といっても今、戻ってきたばかりですが。
ここぞとばかりに書きまくります。
MAJIsan niha kono tabi wo gokai sareteru youdesune.
syousuu minzoku de sae ji-nzu no ueni minzoku isyou wo kiteimasuyo.
syousuu minzoku mura to iu TE-MAPA-KU ha kyouzame desita. zenbu KANminzoku desu.