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人類と自然の知恵比べについて書こう。
人類の勝ち。
何故なら、「知恵比べをしている」と考えているのは人類だけだから。
自然の勝ち。
何故なら、「知恵比べしている」と思っているのは人類の方だけだから。
人類の勝ち。
何故なら、勝敗を決めるのは人類だから。
自然の勝ち。
何故なら、人類も自然の一部に過ぎないから。
人類の勝ち。
何故なら、人類にとっての自然とは、「人類の認識する自然」に他ならないから。
自然の勝ち。
何故なら、人類には人類が認識する領域以外の自然が存在しないことを証明できないから。
自然の勝ち。
何故なら、自然は定義のはっきりしない愚かな問いに時間を費やしたりしないから。
突然アルティメット・ウォリアーの姿が見たくなった。
80年代後半のWWFレスラーだ。
当時、UWFやら大道塾やらシューティングやらが大好きだった僕は、WWFのビデオを借りて見たり、当時深夜にやっていたWWF番組を見たりする度に「何でこいつら毎回入場前にカメラに向かってわざとらしいだみ声で吠えるんだ」「何だこの無理のあるキャラ付けは」「何だこのヒーローショーみたいな試合運びは」と文句を言っていました。
文句を言いながら、まあ、嫌いじゃありませんでした。
その、ストロングスタイルの対極に有った当時のアメリカン・ショー・レスリングの象徴が、ジ・アルティメット・ウォリアーだったのです。
あきらかにボディ・ビルで造られた均整取れたマッシブな体。
パワー技のみのダメダメな試合展開。
必然的に短い試合時間。
アピールするのは、『パワー』。
本当にそれだけでした。
で、今ようつべで久々に動くU.W.を観るとね。
いいんですわ。
予定調和の中で跳ね回る彼の姿が、健やかで力強くて自信満々で。
バカで。
調子に乗ってるバカはいい。
見てると何だか世の中が簡単に思えてくる。
そういえば、「デカスロン」てのもいいマンガだったなぁ…
その日も朝からよく晴れていた。
得意先に出向いての研ぎの注文が入っていなかったので、左平次は玄関先で道具の手入れをしていた。
戸を開け放してできるだけ手元を明るくし、大小様々な形、色の砥石に砥をかける。
道具を手入れすると言うのは、なんにしろ気持ちのいいものだ。
柄杓で時々砥石と襤褸切れに水を含ませ、余計な力は入れずにただただ無心に砥石同士を水平に磨り合わせた。
おせんの一件以降、常に心の中に溜っていた石のような重い塊が、ひととき消え去っていた。
ふと、手元が暗くなった。
左平次が顔を上げると、戸口に恰幅の良い男が立っている。
二本差している。武士だ。
月代は作っていない、浪人か武芸師範といったなりだ。
角ばった顔に細い目、温和な印象を与えておかしくない造作なのだが、眸に酷薄の気が漂っていた。
「おやじ、研いでもらえるか」
男が言った。
「へえ」
たった一言左平次が応えると、男は腰の太刀を帯から抜いた。
何も言わずに鞘ごと渡す。
常の差料である、懐紙を咥えるほどのことは無い。
刀身を立て、鞘を上にすらっと抜いた。
一目見て、左平次の瞼が震えた。
刀身一面に血曇りが見て取れた。
2009年6月から流行を始めた新型インフルエンザ。日本での感染者が二千人を超えるあたりまでは感染者は一種国賊扱いであった。そしてその後も、少なくとも運の悪い奴、と見做されていた。
2010年春までは。
1月から、パンデミックの第二波が世界を襲った。
これは予想されていた事だった。
予想外だったのは、中国から広まった第二波がタミフル耐性と強い毒性を併せ持つ変異種だった事だ。
この流行で世界の人口は半減した。
「半減」というのは些か控え目な表現であるが。
大流行が終わった時、初期の毒性の低いウイルスに感染し、免疫を得ていた者は「神に選ばれし民」と呼ばれるようになった。
モンスターの造形が素晴らしい監督だと思っていた。
しかし、『ヘルボーイ』って…という気持ちもあった。
経験上、異才が世に出る課程で人気シリーズの一作を手がけるという事が良くあるのは知っている。
『バットマン・リターンズ』『カリオストロの城』等、本当の才能にかかれば、とてつもない傑作ができる事が多いのも事実だ。
デル・トロ監督って、どんなもんだろう?
で、DVDで観た。
指輪物語?もののけ姫?メンインブラック?ダイ・ハードも入ってる?
パクってる。
上記作品が好きな人間なら“オオッ!”と思うほど。
そしてその“オオッ!”は決して悪い意味ではない。
悪いパクリと良いパクリを分かつもの、それは覇気だ。
「コレすげぇ!…でも、俺ならこうするな」という覇気、挑戦心。
この映画には“娯楽”を分かってる監督の才気が溢れている。
なんせテンポがいい。
クリーチャーやギミックの質感、触感がいい。
演出のツボを押さえてる、ということだ。
映画の楽しみって、その世界を「体感する」事だから、ここの上手さは必須だと思う。
楽しみな監督が出てきたものだ。
え?
前作『ヘルボーイ』もこの監督だったの?
腕を上げたの?
それとも、『バットマン』みたいに、個性のある監督の力って、ストーリーをなぞる必要のある一作目より二作目の方が発揮されるものなのかな?
『シーズン2』ツアー、大阪BIGCATに行って来た。
筋少はバンドブームの頃から聴いているが(途中レティクル辺りから聴かなくなり、最後の聖戦で復帰)不思議とライブに行こうという発想が湧かなかった。
初めてライブで観たのが2007音魂での復活記念的ステージだった。
屈折パンクからメンヘルメタルに変わっていった時に一旦離れた気持ちは『最後の聖戦』と特撮でのパフォーマンスで再び魅きつけられており、筋少の復活を、と言うより「筋少のネームバリューを利用してのオーケンのメジャー復帰」を僕は喜んだ。
しかしどこかでその復活をお祭り的な、ファン感謝祭的な、キングクリムゾンの「スラック」的なものに感じてもいた。
音魂での筋少のパフォーマンスもやはりそんな感じで、僕は懐かしき死者の黄泉がえりに涙する肉親の心持ちで懐かしい曲に酔いしれた。
そして昨日。
筋少の復活は、盆の間の里帰りではなかった。
奴等は血肉を持って、生活を背負って蘇っていた。
まだ解決していなかったのだ。
オーケンの業は、まだ僕らを引っ張っていってくれるのだ。
普通のメタルのお約束なクサいサビやラブバラードを恥ずかし気も無く(恥ずかし気も無い素振りで?)演れるようになったのは、日和ったんじゃない。ニブったんじゃない。老化したんだ。そりゃしょうがない。
正々堂々足掻いていた安らがぬ魂が、未だに堕ちず、救われず、すっかり馴染みの煉獄で元気に足掻き続ける様は、見る者の心を打つ。
というか、同年代の僕の胸には迫るものがある。
もっと、生きなきゃなぁ。
刺激的な現代を生きていた。
何も確かなものが無い時代を生きていた。
つねに古いものを否定し、自分の可能性の無限や
未来の永遠を信じていた。
新しいことを学ぶのが
新しいことを始めるのが
楽しかった。
思いついたら、眠れなかった。
明日一日で、今日一日で何もかも変わった。
つねに新しいものが目の前に現れる、めまぐるしい未来を生きていた。
あの少年はもういない。
「俺は変わっていない」って?
そうじゃない。
今そこにいるオッサンと、あの少年は違う人間だ。
ぼやけ、変容し、捻じ曲げられた記憶を頼りに、過去を貶めてはいけない。
あの少年はもういない。
だが、まだそこにお前が
あの少年のことを誰よりも理解している
憶えてるお前がいるじゃないか。
お前は大人だ。
あの少年の思い描いたような大人になり、
今生きているあの少年の助けになればいい。
「死んで行く、死んで行く、死んで行く…」
自分を形成した様々な要素が、それ自体は失われないが、死んで行く。
僕は「グイン・サーガ」を読んではいなかった。
「100巻まで書くとか言ってるとんでもない作家がいるらしい」
という噂を聞き、サーガが早川文庫に巻を並べてゆくのを横目に、外国SFや「クラッシャー・ジョウ」を読んでいた。
「グイン・サーガのグインって、アーシュラ・K・ル・グインからとったのかなぁ」
とか思いつつ。
吾妻ひでお、バローズの火星シリーズ、高千穂遙、ゼラズニイの真世界シリーズ…
あの時代を構成していた人格が、死んでいく。
その現実は、否応なく自分もまたここから退場する時が近いのだと言うことを思い知らせる。
「俺は恐竜だ。誰かが俺の骨を掘っている」
クリムゾンのDinosaurが聞きたくなった。
「殺しの現場が判ったぜ」
金蔵は、小声で単刀直入に言った。
「へえ、どこで?」
「それがよ、どうやら稲荷の近くの芦原らしいんだ」
「ほう」
「ここのところ数日雨が降らなかったお陰なんだが、何も無い藪の真ん中に草を踏み分けた跡があって、そこが一面べっとり黒い血糊で固まってやがった。
俺ァ驚いたよ。お前さんの言うように下手人が主君持ちなら、もっと人目につかないところでやってると思ったからな」
それは左平次も同感だった。
いくら薄暗い頃だったと言え、川面を行き交う船からも、土手を歩く人からもいつ見られるとも分からない河原でそのような凶行に及ぶとは、あまりに投げやりすぎる。
「最近何かでしくじって碌を失った者かも知れませんな」
「うむ…。何にしろ、浪人者が相手なら、俺も狭山様も気が楽だ」
金蔵は、じゃあな、と手を振ると長屋を出て行った。
おかつは、翌日身を投げた。
屋形船の船頭が飛び込む音を聞いており、すぐに辺りが捜索されたが、おかつは一刻の後に変わり果てた姿で見つかった。
「芸者上がりだか何だか知らないけど、娘にちゃらちゃら浮ついた格好をさせとくから、こういうことになるんだよ」
葬式帰りの人の群れと見て寄ってきたのか、への字の口なりに皺の刻まれた偏屈そうな老婆が、誰にともなく大声で言った。
「この婆ァ、どっから湧いてきやがった」
長屋の若い衆が聞き咎めて怒鳴りつけると、老婆は何やら口の中で呟きながら歩み去った。
「けっ、栄吉んとこのお種婆だ。歳食ってどんどん了見が捻じ曲がってきてやがる」
若い衆は老婆の歩み去った方へ砂を蹴り上げた。
左平次はおかつの方へ目をやった。
おかつは、何も聞こえていなかった様子で、しきりに慰めの声をかける客等の応対をしていた。
前に夫を亡くした時と比べると、今回はずっと落ち着いているように見える。
噂になるほどの事件であったために弔問客も多い、その応対で気が紛れるのか、かけられる励ましの言葉に慰められるのか、それとも、打ち続く不仕合せが彼女を鍛えたか、と、左平次はぼんやり考える。
と、おかつに挨拶を済ませた金蔵が、戸口に寄りかかって立つ左平次の方へやってきた。
「これは、親分」
左平次が頭を下げると、金蔵は右手を小さく上げて応えた。
「やあ、どうだい?チョコ貰ったりとかした?」
「ん?君ともあろうものが、そんな事を聞くのか。バレンタインデーなんて、所詮チョコレート会社の差し金で無理矢理盛り上げてるイベントだというのに」
「なんだいいきなり。まあ、それはそうなんだけど、何か不満でも?」
「いや、メーカーの金儲けに利用されて、バカみたいだと君は思わないのか」
「メーカーが金を儲けて、僕らは楽しみを手に入れる。資本主義ってそういうもんなんだがなぁ。メーカーの流れた金は、巡り巡っていつか僕らの元に戻ってくる。それが経済の活性化にも繋がるんだぜ?」
「いや、そうじゃなくて、元々聖バレンタインが恋人達の仲を取り持った聖人だった事とか、そういう由来も知らずにただ宣伝にノせられて盛り上がってる日本人の姿が、君の目には愚かしく映らないか?」
「ははは、そんな事を言ってる君のほうが愚かしく思えるよ。元々のキリスト教色の強い記念日のままだと、イスラム教の人なんかには楽しめないだろう?宗教的立脚点なんて忘れて、祭りだけが残るってのが、無宗教国家日本の良い所じゃないか」
「でも、僕は踊らされたくないな」
「じゃあ、踊らなければいい。宗教行事と違って、否定したって人間性を疑われるまでは行かないからね。僕には、君が単に人のすることの愚かしい点をあげつらってカシコぶってるだけに見えるよ」
「……それは違うな」
「そうかい?」
「僕は単に、チョコを貰えなかった劣等感から逃れようとしているだけなんだ」
おかつはその後、古くから知り合いの髪結いに弟子入りし、半年ほど修行した。
もともと深川に居た頃は、朋輩の髪をよく結ってやっていたのだが、御足を頂くなら素人の見よう見まねという訳にも行くまいと、改めて一から習ったのだ。
それからおかつは廻り髪結いを始めた。
はじめは昔の知り合いが、義理で声を掛けるといった風だったのだが、客の気性を見極めて一人一人に合った“張り”を表現する彼女の髪は、深川芸者の間で評判を呼んだ。
化粧風俗は常に遊里から発して町娘の好む所となる。
やがておかつは大店の奥方も得意先に持つ売れっ子となった。
が、ある程度の固定客が着くとおかつはそれ以上仕事を増やそうとはしなかった。
娘のおせんの世話を人任せにしたくなかったからである。
おせんは、母に似て美しい娘に育った。
母の職業柄か、こっそりと化粧をするのが好きな娘は、歳よりはませて見えた。
娘が美しく、また大人びて見えることについて、他人から『物騒な世の中だ、あんまり男の目を惹くような格好をさせとくのはどうかと思うよ』などと忠告されると、おかつは『あの娘はああ見えて家の仕事もよく手伝う良い子ですよ。あたしはね、女が男の気を惹いて悪いことなんざ無いと思ってるんです。悪い虫が付くも付かないも結局本人の心がけ次第でね。あたしはあの子をそのあたりしっかりした娘に育てたつもり…、いや、あの年頃のあたしより、あの子はよっぽどしっかり育ってますから』と、取り合わなかった。
四日目に、見かねた大家がおせんを里子に出す相談に訪れた。
「この度は、誠にとんでもない不仕合せな事だったなぁ」
大家が上がり框に腰を下ろして語りかけても、おかつは茶を出すでもない。
それどころか、大家の方を見ようともしない。
「お前さんも、大層辛いことだろうし、この先、女手一つで子供を食わせていくのも、随分と骨の折れることだろう」
おかつの状態は百も承知で、とりあえず娘を連れて行くのに母親に声の一つも掛けないでは、格好がつきかねると、それだけ考えて来た大家は、何を言っても暖簾に腕押しなのに委細構わず、自分の言いたいことだけを言い連ねる。
「幸いおせんちゃんはまだ二つ、私の顔の利く範囲でも、貰ってくれようという家がある。
どうだい、ひとまずここは私に任せて、おせんちゃんを里子に出しては?」
そう問いかけた時だった。
それまで部屋の暗い片隅に、焦点の定まらぬ視線を据えてぴくりとも動かなかったおかつの顔が、さっと大家に向けて振り向けられた。
「なんだって?」
目尻がきりりと吊り上がり、小さな口を一文字に結んだ、気風が自慢の深川芸者の貌がそこにあった。
「おせんを、よそにやる、だって?」
先刻までの、木偶のような、ただ生きているばかりの年増女の姿はどこにも無い。
大家は気圧され、
「いや、お、おかつさん、あたしは何も…」
と、口ごもる。
「あの子はあたしの、たった一人惚れ抜いた男の一粒種。女手一つと言ったって、こちとら憚りながら深川で人面獣心の狒々爺達と、子供の頃から渡り合った手練手管の手がありやす。娘の一人、育て兼ねる様な細腕じゃあござんせん」
啖呵を切られて、大家はすごすご、引き下がった。
気風のよさでは勝っても、才気教養では吉原に一歩譲る感のあった深川芸者にあって、彼女は異色の存在であった。
幾人もの大店の主人や道楽旗本が大枚はたいて囲おうとしたが、彼女は誰にも靡かなかった。
いずれ余程の大身か、有名な通人に貰われるのだろう、いや、いい旦那を見つけて自分の見世を持つ玉だろう、と、勝手な噂をされていた彼女が突然見世を辞め、色町から姿を消したのは二十六の時だった。
相手は沖伯という駆け出しの貧乏絵師。
誰かの御供で二、三度遊びに来た程度の客だった。
彼女を知る者は誰もが驚き、結婚以来一切遊びの場へ顔を出さなくなった彼女の才を惜しんだ。
しかし彼女は、良人を支える女房に徹することにしたようで、幸せそうに苦しい家計のやりくりをし、掃除をし、飯を炊いた。
二人の間にはやがて娘が一人出来た。
不思議なことに、生真面目だがどこか迫力と言うか重みに欠ける作風だった沖伯の絵に、その頃から独特の深みが加わってきた。
人目を引くけれん味は無いがやさしく味わい深い沖伯の作品は、次第にその評価を高め、仕事も増え始めた。
そして、さる名刹の茶室の襖絵四面を描いて欲しいと言う仕事が来た。
一世一代の大仕事である。完成すれば、まさに沖伯の名を世間に知らしめる大作となるであろう。
沖伯は張り切った。
おかつも、やっと良人の才が世間に認められると喜んだ。
だがその年の冬、根を詰めすぎた沖伯は流行り病を貰い、襖絵の完成を見る事なくあっけなく死んだ。
おかつは一時正気を失い、沖伯が生きて隣に居るかのように一人で話しをしているかと思えば、数刻もじっと動かずに一点を見つめていたりした。
二歳になったばかりのおせんが泣いても、まるで気付かぬように放うったらかしにしていた。
翌日から三日ほどよく晴れた日が続いた。
おせんの腰から下は見つからなかったが、大工の繁蔵が張りぼて細工を工夫し、白無垢の上からなら生前と変わらぬ姿にしてくれた。
長屋の者からだけでなく、廻り髪結いであるおかつの得意先からも香典が集まり、それなりの葬礼を出すことができた。
おせんの母おかつは、弔問客の一人一人にねぎらいの言葉を掛け、終始気丈に振舞っていた。
おかつは深川芸者上がりだった。
もとは商家の娘だったと言うが、幼くして両親を亡くしたおかつは、深川の船宿に引き取られた。
船宿の女将は、幼い子供に愛情を抱かない人ではなかったが、無駄飯を食わせるものでもなかった。
おかつは、見世の手伝いをさせられる一方、三味線、小唄、手習いにも通わされた。
遊びたい盛りの子供にとっては、辛くても仕方ない暮らしだったが、おかつは何もかもを楽しんでいるように見えた。
習い事の中でも書画には才覚が有ったようで、師匠から女将に、内弟子にどうかと打診があったという。
しかしおかつは全てを一流の芸者になるための修行と捉えていたようで、他の将来があるなどと思いもかけぬようであった。
そして、それはどうやら立派な芸者になることが育ててくれた女将への唯一の恩返しだと考えていたためであるようだった。
実際おかつは、芸者“勝女”として見世に出るようになるや、すぐに売れっ妓とになった。
漢詩や古歌に通じ、打てば響く機知に富んだ彼女は、遊び慣れた“通人”達の評判になったのだ。
折りしも狂歌の流行る頃、おかつの作は度々四方赤良・朱楽菅江らの撰に入り、詠み人知らずあるいは“喜撰方子”の筆名で歌集に載った。
二人はその後半刻ほど話をした。
今後の調べをどう行うかについて話しあったのだが、結局左平次はあの日目にした武家のことを金蔵に言わなかった。
ひとつには、下手人が主持ちという先入感を持たせて金蔵の調べを不自由にしたくなかったという事がある。
あの日遠目に見かけた男の姿から、左平次は恰幅と言うか、腰の据わりと言うか、どこか浪人ではない雰囲気を感じ取っていたからだ。
もうひとつは、万一の時にこの事件の始末を自らの手で着けられるように、金蔵よりも常に一歩先んじておきたいという思いが左平次にはあった。
万一の時と言うのは、あの侍が大身の旗本であったり、ややこしい藩の江戸詰めであったりした場合のことだ。
その時は、おかつさんにだけ下手人の名を告げて、けりは自分の手でつける、左平次はそういうつもりだった。
しかし勿論、全てを明るみに出し、長屋の皆にも正義が行われたことを知らせるのが一番なのには変わりがない。
「背骨の切り口に、ごく小さなものだが糸屑が挟まっていました。おそらくおせんは着物を着たまま斬られたんでしょう。
あの斬り方じゃあ周り中血の海になるのは分かり切ったことだし、おそらく殺しの行われたのは、屋外」
「あんな無残な遺体を、風呂敷に包んでぶらぶら持ち歩く訳にもいかねぇよなあ。となると、そこは大川の近くの、人目につかない場所」
「稲荷や荒れ寺、倉庫裏の桟橋…」
「片っ端から調べて、血の跡のあるところを見つける。
その後は、あの晩その辺りで侍と娘を見かけたという棒手振り、屋台を捜す、か」
「まあ、その辺りの呼吸は親分にお任せしやす」
辰吉丈一郎がタイでの再起戦を勝利で飾り、タイ国内ランキング1位に立った。
「麒麟も老いては駄馬に劣る」というが、駄馬と必死に競わねばならなくなった麒麟の姿は美しい。
私は、「老いた天才萌え」である。
かつての力を失った天才、主人公が足掻き、苦しむ姿そのものが神々しい。
若い頃は、そのずば抜けたセンスや身体能力に隠されて、見えてこなかった「天才」の裏側。
人並み外れた努力や、それを支える一種強迫観念にも近いそのスポーツへの愛着。
そういったものが、見えてくる。
彼らの、心の強さが見えてくる。
「天才」という形容に含まれる、才能にアグラをかき、スイスイと人生を渡って行くようなイメージが拭われ、彼らを常人と分かった強さが、恐怖心が、苦しみが露呈する。
それが心を打つ。
引き際の潔い天才も美しいし、その「美しい引き際」にもそれを決断させる途方も無い自分への厳しさがあっての事だとも思う。
が、その人生は完結している。
「ツン」のみである。
違うのだ。
人を(私を)感動させるのは、「ツンデレ」なのだ。
「俺は苦労なんかしていないぜ、天才だから」という顔で、努力丸出しの凡人共をなぎ倒していた男が、失い、それでも諦められず、歯をむき出し、汗まみれになって凡人と競う。
若い頃は「当然」と表情一つ変えなかった一つの勝利に、ガッツポーズで喜びを表す。
「好きだったんジャン」と思うのである。
「必死だったんジャン」と思うのである。
こんな萌えるツンデレが他にあるだろうか?
こんな、「くっそ、あんたすごいじゃねえか、俺もがんばるよ!」と思わせるツンデレが、他にあるだろうか?
ツンデレといえば釣り目でツインテールでスリム体型とか思ってるアナタ!
「元天才ツンデレ」に目覚めなさい!
「無理だな」
祈るような思いを込めて正面から見据える金蔵の目をまっすぐ受け止めたまま、左平次が言い切った。
「下手人の処罰なぞまず無理な望みな上、下手に動けばお前さまの身も危ない」
金蔵が、視線を落とし、ふ、と息を吐いた。
「しかし」
と左平次が言を継ぐ。
「わしは親分さんを見直しました」
「なんだい」
左平次の真意が分からず、金蔵は聞き返す。
「なんというか…、金蔵さんは無理なことはしない人だと思ってました」
「なんだそりゃあ、誉めてんのか、貶してんのか…」
「誉めてるんでさぁ。
無理を無理と諦める生き方を『潔い』と言います。
武士はそれを何より大切にするんで、悪足掻きってもんができない。
それはそれでいいんですが、皆がそれじゃあ、進歩ってものがねえ」
「進歩、かい」
「そうでさあ。悪法も法と澄ましこんでちゃあ、いつまで経っても道理が通らねえ」
左平次は、ぐい呑みの酒を一息に飲み下した。
「今じゃああっしも素町人。親分の悪足掻きに、一丁付き合わせていただきましょう」
「正直言っちまうとな、今度の調べは、俺はお上に任せる気はねぇんだ。
お前さんも知っての通り、辻斬りのほとんどは下手人があがらねぇ。殊に斬られたのが町人だと、犯人の目星がついていたってどうにもならねえ。たまに人斬りの噂が揉み消せねえほど大きくなった国侍が国に帰されるってのが関の山だ。
けど、俺も知ってる娘が斬られてそれじゃあ、納得いかねえじゃねぇか。
その気になりゃあ、どこの藩だろうとお目付け様に讒書するなりして、詰め腹の一つも切らせる手があるんじゃねえか、と思ってね」
金蔵の気持ちは痛いほどよく分かる。
言ってることも、あながち無理とは言えまい。
讒書が受け入れられて目付けによる調査が行われ、その上でその者の罪が露見すれば、他国者と謂えども罰を受けねばならない。
しかし、狭き門だ。
どこの藩にも面子というものがある。
たとえ以前より悪い噂の絶えぬような武士の事だったとしても、江戸の町人に指摘されて『それでは』と罰するような真似は出来ない。
狭山市右衛門のような同心が、武家を相手の調べに二の足を踏むのもその点なのだ。
幕府の役人が絡むとなれば、事は容易く国同士の政治問題に掏り替えられてしまう。下手をすれば飛ぶのは同心の首の方、となりかねない。
「どうだ、左平次。いや、田丸総兵衛殿、元お武家のあんたから見て、これは無理な考えだろうか?」
斬り口を見れば、武家の仕業と言うことは素人にでもすぐ分かる。
左平次の過去を知る金蔵が、この事件に彼を引き込んだ本当の意図はこの辺にあったのだ。
町方同心を当てにしない調べを行うとあれば、『元』が付くとはいえ、事の落とし所を知る武士の協力は不可欠。
金蔵は左平次に参謀としての協力を求めているのだ。
何をした訳でもないのに、一分貰った。
挨拶をして帰る途中に、金蔵が追いついてきた。
「蕎麦でも喰わねえか」
もちろんこういう場合は屋台ではない。見世を構えた蕎麦屋への誘いである。
少し歩いて「一心庵」という新道に面した小ぶりな蕎麦屋に入った。
金蔵は親父に声をかけると、さっさと奥の小座敷に揚る。
天ぬきと酒を注文し、先に酒が出ると早速左平次と自分のぐい呑みに注いだ。
「今日はわざわざ出てきてもらって済まなかったな」
一口呑むなり金蔵が言った。
同じ長屋の娘の無残な屍体を見せたことを詫びたのか、上役の狭山市右衛門の素っ気無いあしらいを詫びたのか分からない。
「いえ、わっちは、何とも…」
左平次も酒に口をつけた。
日頃の安酒ではない、下りものの、旨い酒だった。
「市右衛門様はあんたの昔を知らねえから、きっと『素っ町人が賢しげに剣術を語りおって』とか、機嫌を損ねちまったんじゃねえかな。
それと、まあ、下っ引き風情がはなから『武家が下手人』と決めて調べにかかると言うのも確かにおこがましい話でな」
それは左平次にも分かっていた。
国侍だろうと貧乏旗本だろうと、主持ちの侍をその主以外の者が裁くことは出来ない。
馬鹿な話だ、と左平次は思う。
結局、政道の裁き切れぬ遺恨を晴らすために、仇討ちなどという制度が連綿と続くことになる。
「だがな、左平次」
無口な左平次の性質を知っている金蔵が、返事が無いのに構わず再び口を切った。
金蔵が、したり顔で八丁堀を見上げたが、同心の反応は薄かった。
「左平次とやら、その方の見立ては見事だが…、大坂なんどではそれで下手人も絞り込めようが、この大江戸は武家の国。
大柄で居合いを習っている侍も無数に居れば、その内で犬猫の試し斬りに及ぶ者も星の数ほど居る。
それだけでは、誰が怪しいとも言えぬぞ」
「しかし、狭山様、まずは近辺の犬猫が斬り殺されたと言う噂を訊き回り、その上で体格や経歴から絞り込めば…」
金蔵が食い下がったが、同心が諭す。
「よいか、これを致したのが武家、しかもどこぞの国侍だったとしたら、事は町方の力の及ぶ処ではないのだ。
素性の知れぬ浪人者ならいざ知らず、道場に通う程の武家に嫌疑をかけるということがどういうことか、わきまえねばならぬぞ」
町人と違い、武家を番所にしょっ引いて責める訳にはいかない。
乱心の現場を押さえる以外に、れっきとした武士を捕らえる法は無いのだ。
「傷は、左背中から、右脇に抜けたものです。
血がきれいに抜けて真っ白になってる処から見て、生きているうちに一刀の下に斬り捨てられたに違いありますまい。
刃がきれいに引かれて、肉が千切られずに斬れている事から、下手人は真剣の扱いに慣れた、おそらく抜刀術、居合いの類を学んだ者と思えます。
だが、臓物や筋の引き攣れ具合から見て電光石火の素早い太刀筋と言うのとは違う。
こういう、」
と、左平次は右手の肘から手首を鞭のようにしならせて振って見せ、
「軽く素早い振りではなく、こう」
言いながら今度は右手を棒のように伸ばして上下に大きく振り、
「大きく重い斬撃でありましょう」
と言った。
「おそらく賊は武士。きちんと斬り方を習った者。大柄で特に手足の骨の太い体格。さらに…」
左平次の目が、その者を遠くに見出したように眇められた。
「この者は生き物を斬り慣れている。
逆袈裟に一刀…。おそらく、これまでにも犬猫の類を幾度も斬っておる筈…。
犬や猫を斬っていると噂のあるようなお侍が居ればそれが怪しい」
両の目は誰かが閉じてやったのだろう、一見するとただ眠っているように見える。
さらに筵をめくると、まだ幼い、痩せた体躯が現れた。
着物は着けていない。
しかし、視線を下ろしていくと、その白い肌は突然途切れた。
臍の少し上辺りで、娘の細い体は両断されているのだ。
その先には、雑にまとめられた臓物が土に塗れている。
不思議なことに、おせんの顔を見たときは息を詰まらせていた左平次が、その光景には動揺を見せなかった。
むしろ、かえって落ち着いた態度で丹念に傷を観察し始めた。
暫く水に漬かっていたにも拘らず、川水の冷たくなる時期だったのが幸いしたか、遺体には腐敗の兆候が見られなかった。
左平次は、斬り口の周辺の皮膚を、時に指で触れるなどしつつ、念入りに調べていた。
「返してようございますか?」
左平次が聞いた。
遺体をうつ伏せに裏返してよいか、と尋ねたのだ。
金蔵が同心に目をやると、同心は無言で頷いた。
「構わねえ、好きなようにしな」
左平次はもう一度娘に手を合わすと、肩の辺りに手をかけ、遺体を返した。
「何か、分かるかい?」
しばらく断たれた背骨の表面を指でなぞった後、じっと、考え込むように動きを止めた左平次に、金蔵が聞いた。
「へえ、…」
急に疲れたようにその場に胡坐をかいて座り込んで、左平次が語り始めた。
おせんが消えて今日で三日になる。
左平次の脳裏には最後に見た娘の怪訝そうな表情が浮かぶ。
金蔵がそれ以上何も言わないので、左平次は筵に近づいた。
定廻りが声をかける。
「金蔵、この者は?」
「へえ、この男は左平次と申しまして、元はさる御家中の研ぎ師を勤めていた職人でございます。
試しの場へもよく通ったようで、据え物の斬り口を見れば、刀の切れ味は言うに及ばず、斬り手の技量や体格までも大概は分かっちまうという名人で」
「ほう」
「なにせ、この仏の有様でござんしょう?この男に見せりゃあ、何か分かるんじゃあねえかと思いまして」
「うむ、そうだな」
八丁堀はさほど関心の無い様子で相槌を打った。
「名人、か…。おやじ、まだ、研ぎはしておるかぃ?」
やや伝法な口調は八丁堀特有のものだが、この侍は無理をしてその口調を真似ているように思えた。
八丁堀じゃねえ、“八丁振り”だな、と左平次は心の中で独り言ちた。
「へえ、お蔭様で」
「今度、俺の差料も見てもらおうかな」
「へえ、それは、有難うございます」
いかにも一応といった感じのそんな会話を左平次と交わし、同心は金蔵に頷きかけた。
それを受けて金蔵が手招きする。
左平次はしゃがみ込むと、一息大きく息を吸い、筵に向かって手を合わせた。
筵の端をめくる。
ぐっ、と喉が詰まった。
そこには、蝋で作ったように真っ白になったおせんの顔があった。
目明しの金蔵という者がいる。
女房に楊枝屋をやらせていて、自分は揉め事に顔をつっこんでは名を売るという、いわゆる侠客のようなことしている。
そして時々は、八丁堀の旦那、定廻り同心狭山市右衛門の手先の一人として働いた。
いわゆる十手もちの典型だが、その中ではましな部類だった。
世話好きで親分肌、色んな所に顔を出しては恩を売りたがるが、弱っている者を鴨にすることはない。
左平次もここに移り住むに当たっては色々と世話になっている。
その金蔵の使いの者が、左平次の内の戸をたたいた。
「親分が呼んでるんで、とにかく来てくだせえ」
息を切らした若造は、それっきり何も言わない。
仕方なく左平次は若者について表に出た。
若者は早足で大川の方に向かってずんずん歩く。左平次はいやな予感がした。
火避け地を過ぎて両国橋の袂、千本杭の辺りへ向かう。何やら人だかりが見える。
中に、黒の長羽織に黒鞘を落とし差し、着流し姿の背の高い侍の姿があった。
定廻りだ。
左平次は、悪い予感が当たったことを知った。
人垣の中から、縞の袷に襷掛け、尻端折りに軽衫といういかにもな風体の男が歩み出た。
金蔵だ。
金蔵は左平次を人の輪の中心に招き入れる。
そこには筵が一つ敷いてあった。
小さな丘が真ん中にある。
「悪いな、わざわざ呼びたてちまって。すまねえが、ちょっと、見てみて貰いてえものがあるんだ」
金蔵が筵を指し示す。
「もう察してると思うが…仏が上がった。斬られてる」
四つの鐘を聞いた頃から、表が騒がしくなった。
早々に寝入った左平次も、溝板を踏む音に目が覚めた。
腰高障子に灯りと人影がしきりに交錯する。
左平次は表の戸を開けて顔を覗かせた。
長屋の連中が、提灯を手に手に不安そうな顔で行き来している。
「何だ、何があったんだい?」
又隣の大工、繁蔵を見つけて問いかける。
「おかつさん所のおせんちゃんが帰らねえんだ」
「何と」
左平次はすぐに夕刻の不審な人影のことを思い出した。
「勾引かしかも知れねえってんで、長屋の若い者を集めて探しに行こうって話になってんだ」
今、木戸番に掛け合って、番所送りの段取りをしてもらってるのだという。
「何だか皆起きだしてきちまったが、そう大人数で夜中にうろつくわけにもいかねえ。まあ、左平次さんは内で待っててくんな」
そう言うと、繁蔵は木戸の方に去って行った。
左平次は暗澹たる気持ちに襲われた。
彼には娘が帰らぬのが偶然とは思えなかった。
あの侍は、やはり善からぬ目的をもって町角に身を潜ませていたのだ。
左平次は、あの時直感的に何かを感じていながら、なんら娘を救う行動を起こさなかった自らの不覚を悔いた。
おせんが、あの時あの武士に目を付けらて攫われたのなら、今頃はもう無事ではあるまい。
あの侍にもっと睨みを効かせて追い払うなり、おせんを一旦帰させるなりするべきだった。
左平次は戸も閉めずに框に腰掛け、首を項垂れた。
内に入るとまず木っ端を持って隣の戸を叩く。
隣の夫婦者に火を借りるのだ。
木っ端に火を貰うと手で囲うようにして内に戻り、火皿ばかりの行灯に移す。
面倒なのでかまどに火を入れたりはしない。
夜は冷や飯に湯冷ましの水をかけ、香の物と食べる。
それでも酒があれば充分な食事だった。
左平次はもう十年近くもこういう暮らしをしていた。
今夜は殊に冷え込んだ。
左平次は飯の途中で奥の部屋に掻巻を取りにいった。
せめて湯漬けにすればよかった、と考える。
火鉢に火を入れるとなると、炭代もかかる。費えな季節になったなあ、と溜息がでた。
酒で体が温もってるうちに、と、さっさと床に入る。
隣から楽しげな話し声が聞こえる。今日はよく眠れそうだ、と思った。
風呂に入らず、着替えもせずに、ただ、こればっかりは抜けぬ癖で、枕元に脇差を横たえた。
左平次は、先刻の不審な人影のことなどすっかり忘れて眠りに落ちた。
日本橋の裏店、砥師の左平次は、元は武士との噂もある無口な五十がらみの男。
仕事柄荒れた手先からか、その狷介な人柄からか、ついた渾名が「ささくれ左平次」。
尤もこれは表向きで、長屋の連中がそう呼んだのは、酒浸りな左平次の口癖「酒(ささ)くれ、酒くれ」を皮肉ってのことだという。
折からの不況で、江戸の町は不穏な空気に満ちていた。
どの藩も財政が悪化すれば、まず考えるのがリストラ。
以前なら数十日の閉門で済んだような事でも、お役御免、家禄減封、お家取り潰しなどの処分を乱発した。
結果江戸には食い扶持を求める浪人が溢れ、喧嘩辻斬りの刃傷沙汰が横行した。
武士ばかりではない、ここ数年は農家の潰れも多く、石川島の人足寄場ももはや一杯だと言う。
不思議なことは、食うに困ったなら食う為だけに罪を犯せばよいのに、男は、特に元藩士旗本の類は、不遇をかこつ身の上になると、辻斬り勾引かしの類の一文にもならぬ犯罪に走った。
左平次はその日、得意先に仕上げた刀を届けた帰り、裏店の木戸をくぐる時、ふと目をやった向こうの四つ辻に、すっと身を隠す人影を見た気がした。
腹の辺りから二本の柄が突き出ていた。武士である。
左平次は、入れ違いに駆け出て行った廻り髪結いおかつの娘、おせんに声をかけた。
「近頃物騒だ、遅くなるんじゃあねえぞ」
日頃口をきかない左平次に声をかけられ驚いたのか、おせんは目をまん丸にしただけで、何も言わずに駆け去って行った。
左平次は、ふん、と鼻を鳴らすと、家に向かった。
第一章 アキラ爆誕!
その日、俺は会社を辞めた。
理由は単純だ。
駅で拾った『パチスロセブン』という雑誌を読んで、スロットというものをやってみたくなったためだ。
友人は止めた。
「じゃあ、今晩でも一緒にパチスロ行こうよ。会社辞めるなんて何馬鹿なこと言ってるんだ」
しかし俺の決意は揺るがなかった。
違うのだ。
会社帰りに軽く小遣いで打つ。安全で常識的な小市民の娯楽。
ちょっとしたストレス解消、度を越さないギャンブル。
それが幻想なのだ。
この先進国日本の、大通りに面して昼日中から大きな看板掲げて営業していれば、間違っても人が破滅するだの殺されるだのするようないかがわしい店ではあり得ないだろうという考え、その考えこそが身を滅ぼすのだ。
金の取り合いをしている以上、そこは紛れも無い鉄火場。
軽い気持ちで足を踏み入れた奴は、身ぐるみ剥がれ餓えた狼どもの餌になるだけなのだ。
俺は狼になりたかった。
ただ肉として狼の餌場に赴く愚かな羊にはなりたくなかった。
では、どうやって狼になるか。
捨てるのだ。安住の地を。貯えを。他の餌場を。
俺はその日からスロッターになった。
ギャンブルで生きる他、道を持たないプロスロッターに。
会社を辞めたその足で駅前のパチスロ屋に入った。
うわっ、うるせー、何この騒音。タバコくせー、喫煙ゾーン無いの?これスロットに潜む魔物に喰い殺される前に肺癌で死ぬって。うわー、悪そうな若造ばっか。なんか睨んでるし。
なんか、考えてたのと違ったので、俺は家に帰った。
チャットの付き合いは所詮仮想世界のもので、実際の処話をしている相手が本人の主張する通りの年齢、体重、容姿…性別だと言う保障は何処にも無い。
…素人が相手の場合は。
しかし、俺は内閣調査室から委託された特殊調査員、いわば情報のプロだ。
当然、チャットをする相手のことも徹底的に調査する。
その女は、ある日俺がいつものように自部屋で哲学的かつ詩的な独り言をしていると、『lレミタソ』と言うハンネで「はじめまして〜」と入ってきた。
俺が「よぅ!ネカマ乙」と挨拶をすると、「lレミタソネカマじゃないもん、ピチピチの17才女子高生だもん」と言ってきた。
勿論俺はそれを鵜呑みにしたわけじゃない。
それ以前に、チャットの相手が17才女子高生だったとしても、何ら特別な感情を抱く訳でもない。
俺は普通に「lレミタソちゃんて、誰似?どこ住み?どこ学?」と、相手に興味のある素振りを一種のサービスとして演じ、彼女も「おじさんがっつき過ぎ、ちょいキモイよ」などとふざけてそれに応じていた。
中々個人情報のヒントを明かさぬ彼女に対し、俺は「あ〜、こういう知的な会話はギャル脳には難解すぎるか。コムスメは本も読んだこと無いんだろう?」などと挑発し相手をムキにさせると言う、高度な会話継続術を使った。
2時間後、彼女が「あ〜、もうどうでもイイわ。自分マジうざい」と捨て台詞を残して落ちたときには、彼女の家の周囲にファミマ一軒とローソンが二軒あること、最寄の駅は地下鉄であること、高校入学時の偏差値が53だったこと等が分かっていた。