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汚い物ばかりが目に入る。
それは人の卑しさから生まれる興味であり、徳の無さが自分自身をそうさせる。
日々過ごす環境を見渡してみれば、作品に成り得る美しき心の在処は見付けられず、惰性で見る物は己の心の在り方に比例し、朽ち果てる事を赦されぬ卑しき権化の象徴ばかり。
畑が悪い。生産の意識が低い。足下の力強さを信じられなければ何を吸い上げるのかも知らずまま、ならば何者を生み出すのかも知らずまま。
力強さを見えぬ場所にしまい込み安易には見せず、何食わぬ顔で生きるものは何もせずとも絵になっている。
見栄えの話しではない。
見付けたければ信じるしかない。
信じ始められるならばげすに染まる瞳に光が射し込み、彩りは戻るはず。
見たければ、見ない事をまず知る事が始まりで、信じる事に応えるのが人の求める心理だろう。
流行ってりゃ良い?
プレミアもんを口にしたらすげぇ?
わっかんねぇな何がすげぇ?
なんですげぇ?って聞くのもつれぇ
憂ぇてるこっちの手が震えるわ
価値を知らねえ輩がぶち壊す
魅力を履き違えてまぁ壊す
矜持がないんなら価値はシャボン玉
屋根まで登ってパーン サイナ〜ラ
2018年 五右衛門様
いまの景色は滑稽かな?滑稽だろうな
一億総出の越前屋風情
乗っけから肥えた不徳の権化野郎が
富徳を枕に空眺めてりゃ
そりゃあ膨らむだろうよ性根ず太く
気持っち悪い
お前らが下に見て来た中韓人より下劣な民度
気持っち悪い
脂っこ過ぎて口にできん口にできん
気持っち悪い
満員電車が世の中に光を運んでんなら
おれには陽射しが強すぎる
ビルの影にすら飲み込まれる己の影
痛感する鈍足 本国を見失うなんて惨すぎる
人を以て国と成す
人を以て国と成す
誰が言ったか定かじゃねえけど
それぞれ希望を持って吐いたんだろうな
誰も汲んじゃいねけどな
文化を下地に歩いてる人の足下はスニーカーかティンバーで、BPMも自在にピッチコントロールが決まってる。一人称で既に出来上がったものをマッシュアップしては期待を裏切り続けるような連み方をしてるから、いつでもフレッシュで、白髪の本数に反比例した生き方をしている。
90年代は幻想だった。表面上はくだらないと感じる事ばかりの2010年代はきっと本当の意味での現実なんだろう。
ファッションも、音楽も、裾野が広がり自由度は爆発的に増したはずなのに、何が自由なのかを解ってないものだから平均点を取ろうと躍起になってる人ばかりが増え、新しい事が見えていない。
アイコンだらけのデスクトップは手間を省く為の結果なはずなのに、利便性を欠いてしまっている。扱い方を間違え、CPUは眼鏡を外したのび太みたいな顔をして汗をかいている。
目的がハッキリしていないから、自由で便利な世の中を持て余してしまっている。
見た目には何もなくて、だけど息を止めて潜ってみれば必ず何かを掴む事が出来た。
知らない事が新鮮に感じられたから息が続かなくなってる事にすら気付かずに更に潜ってはクマだらけの顔面で登校していた。
同じ面したやつを見つけると気取った面でマイメンなんてらしく言ってはコミュニティーを広げていた。
幻想の中に居ては気付かない。だけど、夢中になって居たやつらは現実を突き付けられても、幻想だったなって笑い合っている。
確かな物を手繰り寄せた彼らは、いまだに幻想を見せてくれるが、それは文化圏が似通っているからこそ見れる、幻想なのかもしれない。
普通って名前のモノサシで何が計れるんだろうか。
ダボダボの格好をして居た90年代の黒人や、ピッタピタの格好をして居た70年代の黒人を流行りのファッション感覚で計ったら大きな誤解を招く。
いま流行りの何がしかハラスメントそのもの。
自分の価値観でしか物事を計れないのは仕方ない。問題は、自分の価値観でしか計れない自分を解っていない事。
そして、それを無意識の内に正しいと判断してしまっている事。
是か非か、この判断基準があまりにも自分の中だけで定められしまっている。
自分だけに当てはめるのであれば問題ないのだけれど、他人にも要求し、是正しようとする。
脆弱。
違いを楽しもうと云う遊びが頭の中にないかのようで、触れ合うたびに怖さすら覚える。
自由度が増し、流行りが無線のように飛び交っている世の中で残る物は何なのだろう。
文化を持たず生きる現実に、矜持はあるのだろうか。
言葉+アート=政治
政治=言葉+言葉
折り重なれば、歴史を作す。
拳を握った事もない頭デッカチが大人になって急に権力サックを拳にはめ、ヤンキー気取りで喧嘩を始めたって落とし所を見付けられる訳がない。
キャリア組みならキャリア組みらしく脳みそを滑らかなバターのように溶かし、食欲をそそる歴史のミルフィーユを作り上げれば形を成して落ちとする事が出来るでしょうに。
食欲をそそられる歴史でなければ、才人は紡ぎたくなる訳がない。
座席の距離感で行間を読めるなら、いま
おれは どんな関係性を込めて席に着いているのだろう。
願う事も望む事も出来るだけの余裕はなく、ただ、ただ、時を惜しむようにほんの少しの距離を置いて、隣の席に座して居る。
車窓から見える景色は徐々に移り変わり、ビルとビルの隙間にあった緑がトンネルを抜ける毎に増してゆき、時間の感覚を失ったおれにも解るだけの距離を来た事を感じさせる。
誰も知らない。知って居る人とすれ違うリスクすらない場所で手を握り合い、普遍的な日常を憂うかのように新鮮で色彩豊かな今を過ごしている。
高校生の頃に出来なかった事を造作もなくやってのけている。全てがごく自然で近所のコンビニに煙草を買いに行くほどのラフでカジュアルな心持ちである。
そのはずなのだが、締め付けられる胸の痛みが17歳の頃の自分と何も変わっていない事を警告するように、徐々に徐々に締め付ける力を強めてゆく。
20年の時を経て尚、あの時から今に至るまでおれの中では何も終わらずに、続いていたと云う事に対する警鐘。
関係ないと突っぱねてはいるが、薬指にあたる感覚だけは小脳の中枢に重く響いている。
左手に咲いたリングが
眩しくて色彩のチューニング
モノトーンに 悪い癖
車窓の緑が鮮やかで
余計に映える あなたまで
手と手の距離は数cm
入念に描いた妄想 風前に流れ
潮風だけが香る 夏を奏で
その耳に不法侵入
させたい言葉は5文字でシンプル
この想いでリクライニング
って具合に リラックス
出来たらいいな
最近、道端でくだをまいてる酔っ払いの事をウォーカーと呼んでます。
カサカサと家中を走り回るゴキブリの事もウォーカーと呼んでます。
さて、ウォーカーを発見したら片っ端からコメカミにナイフを突き刺す事に正当性はあるのでしょうか?
IQが違い過ぎると話しても会話にならないなんてのはよく聞く話しで、ストレスが溜まるだけならばまあまあ良しとする。だけど、その後に妙な噂が付きまとう。噂の内容を分解して話を整理してみるとどうやら前述の会話からの派生だと云う事に辿り着く。
ウォーカー!!!!!
と、大声を張り上げ、コメカミに向けてナイフを突き刺す。或いは、少し格好付けて顎の辺りから真上に突き刺す。
もはやこの場合、正当化出来るのではないだろうか。
脳の中枢を何かしらのウィルスに侵されてるとしか言いようのない犯行に及ぶ人が実はこの世の中、レッドブルの空き缶と同じくらい溢れて居る。
潜在的ウォーカーは実在する。
時間的に余裕があれば対策を考えるのも楽しめるかもしれない。
けれど、悪意はそんなに悠長ではない。
準備が整っていなければ、気配を感じた時には既に詰まれている。
なんで自分に関係なく、何も影響のない事にそんなにムキになって大人は遊んでるんだろうって、ずっと思ってた。
ドラクエやディグダグをやってた方がよっぽど面白いのに、よってたかって。
いつか、ぼくたちもそうなるのかなって。
SNSなんてものはやらないんだ。
必要以上に人と繋がりたいなんて思う程 もしかすると人が好きではないのかもしれないけど、同じように思っている人がもっと増えたら、だいぶ楽になる。
あいつ、こないだどこどこに行って来たらしいね。せっかく行ったのにさ、普通の人と同じような事しかしないなんて勿体ないよね。
って言ってる人が居て、ああ何だ、土産話をうんざりする程聞かされたのかと思ったら、インスタグラムを見た一方的な感想で。
子供の頃、ああはなりたくないって子供なりに危機感を持っていて、大人になったいま、糞の役にも立たない個人情報を垂れ流す馬鹿者と、馬鹿者の糞を自ら覗き見ては更に糞を垂れ流す無数の蠅に、人の尊厳なんて言葉は死んだんだなとつくづく感じる。
テレビも、ラジオも、雑誌も、ネットも、そりゃあ品位なんてものは道端の蟻んこを踏み潰すよりも感じる訳はないんだな。
批判を受けながらもまともな、人間らしい言葉を遠投する怒れた人は、スタートラインにすら立てやしない。
一人っ子政策の犠牲者と、その犠牲者。
この国も、さほど変わらないじゃないか。
主人公面してるけどさ、君たちはザク以下だよ。
その目の先の明日は何を
映して、いや、映したいって話しよ
恥の上塗りしている番記者の賛美を
汝の胸に手を当てて唱えて案じろ
俗物が先導する
穀潰し共を洗脳して創る必然の現状
失言に苦言を呈する
輩に苦言を呈する
成り立ちに興味を示すまともな矜持に
歪な狂気は調子を合わせず脅威と成る日を
何言ってるか解らないけど聞いてるよそこの蝉やらキリギリスやら。
もしかしたらそうだね、下ネタを言い合ってるのかもしれない。
人間って腹立たしいよな。
おい、あれやろうぜあれ、あいつらの届かないとこから小便引っ掛けて逃げるやつ。
オトオトの実を食った腕がおれたちみたいに曲がるあいつも言ってたっけか。
敵は、怒らせてから逃げるから面白いって。
なんて事を考えてるとばかり思ってたけど、もしかするとあれは、ただの性癖かもしれない。
小便を掛けるのが趣味なのか。はたまた、小便を掛けられては恍惚の表情を浮かべるマイノリティを人間そのものと勘違いして喜ばせばせてくれて居るのか。
もし後者であれば、蝉は良い奴らだ。
ただ少し、捉え方がファンクですが。
やぁ蝉。
聞いてるよ、何言ってるか解らないけど。
今度はおれが、小便を掛けてやる。
喜んでもらえると良いのだが。
母音を左脳で消してから子音を右脳で処理する言語が世界の大半を占めてまして、そんな中、日本人は右脳で両方纏めて処理してるとかなんとか。
だから、虫の羽音やらなんやらを日本語脳は声として認識し、ほぼ全ての言語はノイズとして認識する。
虫の声を言語化してるのも日本語特有で、とか聞いた時にそうかと合点承知した訳ですよ。
動物の鳴き声、例えば鶏の声なんかどんなに頭を豆腐にしたってクックドュードュードューなんて聞こえないけど、バカでかい土地に住んでる人種はクックドュードュードューだと言い張る。
コケコッコー?はぁ?ジャップ馬鹿なの?
こんな具合でいちいち貶して来やがる。ONE PIECEの擬音なんか君たちには理解出来ない代物だろう?って顔してニヘラニヘラしますけど、そんなのお構いなしでジャップ馬鹿なの?ジャップ馬鹿だろ?ってさ、たいそうご立派な鼻の形が中指立ててるようにすら見えるくらい、オコですよ、わたし。
それくらい、なるほど。って、なんとなく解ったような気になって、今日からメリケンの脳みそは不器用で可哀想だと云う想いを胸に、進撃の巨人みたいな薬物依存面でうんうんと聞いてあげようと思います。
しかしまぁ、なんで日本語が母語ならそんな風に声をキャッチ出来るのか。
外国人でと日本語が母語ならキャッチ出来て、日本人でも日本語が母語でなければキャッチ出来ないって、なんだか尖った言語ですね。
日本語ってのは、ロックです。