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僕はCUEだけは未だに許せないですね。スケッチショウ名義でやったバージョンは柔らかな大人の風情があって割といいなと思いましたが。あとKEY、FOCUS..あれ?なぜか偏ってるな。
僕は散開時、高三でした。テクノデリックの後奏でなんとなく暗示されてた気はしますが。でも最後までCOOLなバンドでしたね。涙で別れを惜しむファンなんてひとりもいなかったんじゃないかな。僕を除いて。
散開時は19歳でした。高校の頃からymoで盛り上がっていた友達と「GORO」の記事を見て「やっぱりなー」と肩を落としました。同じ頃に失恋も重なったこともありあの冬の寒さは一生の思い出。「サービス」収録楽曲の響きに特別な思い入れを持っているのもそんなリアルタイマーならではでしょうか。「リンボー」のイントロで「もうymoなくなるんだ」と反芻していたあの頃の匂いがします。
ベストテン出演時にはサポートは教授とユキヒロさんの2人でした。
細野さんはこの頃、別の化粧品会社のCM曲に係わっていて、スポンサー・サイドが出演を許可しなかったという噂がありました。
運動会で雷電ですか!年代差を感じます。ベストテンの春咲小紅は三人さんも登場してた記憶が…教授だけでしたっけ? 当時の番組ではYMOファミリーは特別な扱いがありましたよ。外タレみたいだった。
身に余るお言葉ありがとうございます。しかし僕はそんなに立派な人間ではありません(^^;)
ただ人生の中で若いうちにだけできることもありますから、できるうちにいろいろやっておこう
ということです。実際就職してからは髪なんて染められませんからね(^^;)ファッションという
ことです。そして僕はファッションや見た目だけじゃないんだということで、内面を磨くために
様々な経験や勉強をしようという考えです。実際はなかなかうまくいきませんが・・・。
みなさん、長々とすみません。YMOの話題続けてくださいね。
ユウさんとマニーさんへの書き込みは夜10時過ぎにあと一歩まで書いたのですが、バッテリー切れで全部消えてしまい、充電後に書きなおしたのですが、今度は眠くて後半まとまらず分かりにくいまま終わりにしてしまいすいませんでした。YMOはずるずる続けることより、散開とはいえ一度潔く自分達にピリオドをあの時点で刻印させたい状況にあったのかもしれませんね。個人の想像にすぎませんが。間違っていたらごめんなさい。
ユウさんのことを初めて強く想像してみたのが、あのONLYユウライブでした。髪に色が入っていてもユウさんはユウさんですから。私の感覚が古いのです。ユウさんはインテリ・頭脳明晰、あらゆる事物に通じており状況見極めに長けており冷静に物事に対処する若期し頃の音大時のサカモトさんと印象の近いところあるような。バットマンよりいいでしょう。マニーさん、解散ではなく散開という言葉でしたから、残念だけどまた再結成を信じて待ちます、という気持ちが多くのファンにあったと思います。ソロ活動が増えていく(以前より)流れの中で三人のYMO活動を客観視しつつ、先を模索の掛け
それはどのようなイメージだったんでしょうか?笑。ウルフベースというのはウルフカット(トップが立ち
上がり、えりあしが長い)を基本にしたスタイルで、それにアッシュ系(青っぽいような灰色っぽいような
少しくすんだブラウン)の色を入れているということです。一時期は結構明るくしてたんですが、最近は
就職活動が始まるので少しトーンを暗くしました。
リアルタイムは幼すぎて運動会にRYDEENで走ったりとか、君に胸キュンをかろうじて記憶してたりとかしかなく、いろいろな方からベストテンや夜ヒットのビデオをダビングして後追いしましたが、当時リアルタイムな年齢の方、の散開を知った時の反応を聞きたいです。関係ないけど、ベストテンの春咲小紅の画像がないので見てみたいです。
ユウさん、まさか髪の毛染めているとは。イメージしていたとはちがうものですね。ウルフベースにアッシュ系?…つまり何色ですか(笑)僕は一昨日、お世話になっている方に、いいよ似合ってる!バットマンみたい、と言われ内心傷付いたが作り笑いはしておいた。しゅうさん、よかったらいつでもバナナの方へ。メアド厳守、余計な送信はありません。坂本さんのホワイトは自然の色なのかな。
僕の両親は商売をしてまして、中学・高校の頃、お客から『テクノ君』って呼ばれてました!
僕は小学校の頃はスポーツしないのにスポーツ刈りで、中学にかけて少し伸ばしました。
すると父親がテクノカットだというので、そのころは何のことだかわかりませんでしたが、
後にYMOを知って、あ〜そういうことだったのかと思いましたね。現在はウルフベースに
アッシュ系の色を入れているのでまったくテクノではありません・・・。
初めて買ったのがマルチプライズだったので増殖のナイスエイジの始まり方には違和感があった。必ず再発されるわけではないアルバムなので、前回の紙ジャケやプラケースのマルチプライズ個人的には少し貴重かな!?と思います。
中学の時は坊主だからもみあげを髭剃で剃ってテクノカットのつもり。高校ですぐパーマかけたらパンチパーマになってしまい、伸びると横浜銀蝿になり、毛先をカットしてまだウェーブが残っているとトシちゃん、の順でした。今は永ちゃんのように前髪Vカットです。
デヴィッドシルビアンと同じ髪型にしてました。たまに土屋昌巳風だったり…ただマッチの真似って言われるのが嫌だったなぁ。
僕も高校入学時(84年)刈り上げていたのですが、誰もテクノ・カットだとは思わなかったらしく、後にチェッカーズが流行り、皆が刈り上げ始めた頃に、友人の一人に「お前ってチェッカーズが出てくる前から刈り上げてたよなぁ」なんて言われた記憶があります(笑)
散開ライブの教授の髪型にびっくり!1989年当時高1の私は髪型をマネてYMOが再生するまでモミアゲを剃ってました。曲は東風、テクノポリスに最初はハマりました。CDはどこも売ってなく、中古レコードで一枚ずつ集め、ファーストの日本版を探すのに苦労しました。
正解が<オノヨーコ>になっていますが、<坂本美雨>の誤りでは?「ONGAKU」は元々、坂本教授が愛娘の美雨ちゃんをイメージして作った曲ですが。
>しゅうさん
僕はあの赤い人民服でクールに演奏する姿に激しく惹かれました。ベースまでもがシンセという。
楽曲だけであんなに惹かれる音楽は初めてでしたね。最初に好きになった曲はやはりRYDEENです。
はまったキッカケの曲でもありますが。ピコピコシーケンスにオデッセイによるメロディーなど
初めての感覚でとてもワクワクしたことをおぼえています。その後はしばらく初期→中期→再生期→
最近ちょっと後期という感じですね。その間にはKYLYNや渡辺香津美さんなどのフュージョン・ジャズも
聴くようになりました。
後にファンになった方はどんなところに惹かれましたか? また最初に好きになった曲は?
メアド間違えました。コッチですm(__)m mongolian.chop.squad-8179@docomo.ne.jp
ウィンター・ライヴのCDを貸して頂けないでしょうか?ずっと探しているのですが、手に入りません(T_T)お願いします。もし、貸してもいいよ!という方がいらっしゃったら、コチラまでご連絡頂けないでしょうか? mongolian.chopp.squad-8179@docomo.ne.jp お貸し頂いたCDは、責任を持ってご返却致します。どうかご協力の程、よろしくお願い致しますm(__)m。
はじめまして。1989年に親友にNHKの散開コンサートを強引に見せられはや14年。未だにテクノから逃れられません。先日YMOのTV出演のビデオをDVDにダビングし、21世紀もテクノは不滅。確かに散開ツアーを見た後にレコードで買ったBGMに複雑な思い。同じくUTばかり聴いてました。でもウィンターライブのビデオでカモフラージュも好きになりました。
フィールドワーク聴きました。今聴くと新鮮ですね。話がズレますが、今田こうじのナウロマンテックがリリースされた時は嬉しかった。あの時代にニューロマンティックが聴けるとは…そういえば、ポリシックスの女の子のソロって細野・松本コンビらしいね。トラック制作は細野氏。聴いた人いますか?
BGMの発表した時は絶賛でした! 高校がデザイン科でしたから、変わり者が多いからかな。
BGMの発表した時は絶賛でした! 高校がデザイン科でしたから、変わり者が多いからかな。中期の作品を聴くたびに学生時代のテスト中を思います。
自分の周りが明らかにトーンダウンしているのを感じましたね。「YMOは終わった」とか「暗い」という声ばかり。激しく同意しながらも自分の中ではymoの存在がさらに特別になっていきました。翻弄される快感、でしょうか?そしてその秋、「テクノデリック」発表。これがまた..
「BGM」は最初、う〜ん…という感じでした。 U.T、かっこいいな、と思ってたくらいで、他の曲は、なんだかメロディラインがはっきりしないなと。だから、U.Tばかり繰り返し聴いてましたね。 でも、そのうち音楽の計画や、ラップ現象のリズムが気になりだし、さらに歪んだ音が気になりだし。。 今ではこの辺りの曲が一番好きかもしれないです。
ymo作品やそれぞれのソロ作に、初期の残像をなんとか見いだそうと焦っていたように思います。それは散開の日まで長く続いていきました。